「Ⅰ 日本史 総説 1956年第66編」から。
“前年暮にでた遠山・今井・藤原氏らの『昭和史』が、圧倒的な売行きを示すと共に現代史論争を展開する契機となった。現代史論争は、戦争責任と関連し、論争参加者は歴史家以外に多かったが、特にスターリン批判という条件とマルクス主義史学者のすなおな態度に支えられ、健全な空気のうちに続けられた。水準を抜く現代史『昭和史』に最初の批判を加えたのは遠藤湘吉氏でないかと思うが、氏は事実の誤認、歴史的評価のあらつぽさ、特に無産政党に対する姿勢と共産党に対するあまさを指摘した(『朝日新聞』中部版 三〇・一二・一四)。この書評は限定された短文で、どうしてこんな欠陥が生じたかの原理的なところまではふれなかつた。しかし、亀井勝一郎氏の「現代史家への疑問」(『文藝春秋』三月号)が発端となり、現在最も成果をあげているマルクス主義史学の方法上の欠陥が、現代史論争へと発展した。亀井氏は人間を描き歴史的人物に共感する態度の欠如という指摘から、戦争を遂行した軍部政治家実業家とかれらに反対した共産主義者たちの対抗があつて、その中間の大衆が抜けており、共産党の戦略・戦術や人間性による広い層のかれらからの離反、ソ連参戦、満州進駐と掠奪に対する批判の弱さなどをあげた。(後略)” (下村富士男執筆、本書31頁。赤字は引用者による)
やっと出たか。やれやれ。
(山川出版社 1987年4月)
“前年暮にでた遠山・今井・藤原氏らの『昭和史』が、圧倒的な売行きを示すと共に現代史論争を展開する契機となった。現代史論争は、戦争責任と関連し、論争参加者は歴史家以外に多かったが、特にスターリン批判という条件とマルクス主義史学者のすなおな態度に支えられ、健全な空気のうちに続けられた。水準を抜く現代史『昭和史』に最初の批判を加えたのは遠藤湘吉氏でないかと思うが、氏は事実の誤認、歴史的評価のあらつぽさ、特に無産政党に対する姿勢と共産党に対するあまさを指摘した(『朝日新聞』中部版 三〇・一二・一四)。この書評は限定された短文で、どうしてこんな欠陥が生じたかの原理的なところまではふれなかつた。しかし、亀井勝一郎氏の「現代史家への疑問」(『文藝春秋』三月号)が発端となり、現在最も成果をあげているマルクス主義史学の方法上の欠陥が、現代史論争へと発展した。亀井氏は人間を描き歴史的人物に共感する態度の欠如という指摘から、戦争を遂行した軍部政治家実業家とかれらに反対した共産主義者たちの対抗があつて、その中間の大衆が抜けており、共産党の戦略・戦術や人間性による広い層のかれらからの離反、ソ連参戦、満州進駐と掠奪に対する批判の弱さなどをあげた。(後略)” (下村富士男執筆、本書31頁。赤字は引用者による)
やっと出たか。やれやれ。
(山川出版社 1987年4月)