これも考えるヒントとしての書き抜き。
“一般の科学好きの人の中には、私のように歴史嫌いの人が少なくない。私はそれを、単なる好みの問題だとは思わない。それは、「これまでの歴史学というものが科学になっていない」という感覚に基づいているように思うからである。(略)
こういうと、歴史学者から大変な抗議が寄せられるかもしれない。その人々はいうだろう。「歴史学だって立派な学問だ。戦前の天皇中心主義的な歴史学は非科学的なものだったが、いまの歴史学は科学的なものになっている。実証的な学問になっている」と。
問題がそこにある。科学好きの人々も、ここでしばしば誤魔化されてしまうのだが、「実証的」ということと「科学的」ということとは違う。もともとすべての学問は実証的である。事実に根ざさない学問なんか、原理的にはありえない。しかし、科学というものは、その「事実に基づく」段階から一歩踏み出したところに成立しているのである。
たとえば、地球説や地動説、原子論といったものを考えてみるといい。そんなものは、事実に基づいて出てきたものではない。むしろ、「直接的な事実を無視した大いなる空想、仮説が、もとになって生みだされた」と言ったほうがいいほどである。
歴史学者は、知られている事実を次々に提示して、歴史の話を構成する。そのこと自体には問題がないように思われるかもしれない。しかしじつは、その「知られている事実を次々と提示すること」が科学好きの私のようなものには我慢がならないのである。(略)科学の話は「知っている事実」からではなく、「知りたい事実」から出発する。(略)ふつうの歴史の本には(もともと歴史好きの人は別にして)、ごくふつうの人が「知りたいと思わない」ようなことが一杯書き連ねてあるかと思うと、一般の人々が「知りたい」と思うような事実はほとんど書かれていないのが普通だ。歴史学者はいつも、「たまたま知られた事実」をもとにして研究する習慣が身についてしまったために、「どんな事実が知るに値する事実なのか」ということを考える習慣がほとんどないことによるのだろう” (「はしがき――歴史と科学と」 2-4頁)
“それでは、日本史を〈理系の目〉=科学の目で見ようと思ったら、まずどんな史料に目をつければいいのだろうか。私はまず、数量的なデータに注目することが大切だと思う。自然科学が対象を数量的に研究してその権威を確立したことはよく知られている。ところが、一般の歴史家は、数量的な事柄にあまり注意を払わない。そこで、歴史の中の数量的なものに注目しただけで、科学の目で見た歴史が構築できることになる” (第14話「江戸時代を数量的に見る――江戸時代後半の相馬藩――」 167-168頁)
“それなら、どんな数量に目をつけるか。「広い地域をおう長い時代にわたる数量の変化が見られるものなら、なんでもいい」というのが、いまの私の結論である。(略)長期にわたる統計資料が入手できれば、長期にわたる社会の変化を見るのにとても役立つ” (同、168頁)
“(明治維新の)結果、まがりなりにも、四民平等が実現し、職業と移住の自由が完全に実現した。そういう結果からすると、「明治維新は市民革命と呼んでもいいのではないか」と私は考えるのである。今日の日本までの間には、敗戦後の民主化の時代があるが、日本は敗戦以前から封建的な時代を脱して、かなり自由・平等な国になったことは間違いあるまい。
つまり私は、「革命の性格は、その革命の担い手やスローガンを見て判断すべきものではなくて、その革命の結果を見て判断すべきものではないか」というのである。本書の主題と関係させて言えば、「物事を動機よりも結果で判断する」という考え方は、「理系の目」の特徴でもあると思うのだが、どうだろうか” (第24話「不思議な革命=明治維新――明治革命は市民革命か否か――」 295-296頁)
“私はいま、「科学研究においては〈実験〉の前の〈仮説〉が決定的に重要だ」と書きましたが、その場合の「科学」というのは、自然科学だけではありません。私は長いあいだ、「社会の科学の場合も実験ができるし、実験で確かめられない理論は、いかにもっともらしくても信用できない」と考えてきました。この場合、私が「実験」というのは、必ずしも「実験器具を使って対象を制御するもの」ばかりではありません。「〈まだその結果を知らない事実について予想・仮説をたてて、その予想・仮説の正否を客観的に確かめる行為〉は、すべて実験と呼ぶべきものだ」というのが、私の実験論=科学認識論なのです” (「あとがき」 309-310頁)
“これまで自然科学教育の中で教えられてきた一つひとつの事実は、間違っていることはほとんどありません。けれども、「その科学のもっとも基本的な概念を理解するためにはどんな問題提起が必要か」ということの研究が見過ごされてきたのです” (同、310頁)
“社会の科学の教育の場合には、これまで真理とされてきたことが本当に真理と言えるかどうかということさえ怪しいことが少なくありません。またその事実そのものは間違っていなくとも、それがもっとも普遍的・一般的な事実でないときには、「そういう事実を教えこまれたために、却って全体が見えなくなる」ということが少なくない” (同、310-311頁)
次は、同じ著者による『社会の法則と民主主義』(仮説社 1988年)を読んでみる予定。
なお冒頭の“考えるヒントとして”が“重大な指摘や貴重な示唆”の婉曲表現であることは言うまでもない。
(朝日新聞社 1996年12月第6刷)
“一般の科学好きの人の中には、私のように歴史嫌いの人が少なくない。私はそれを、単なる好みの問題だとは思わない。それは、「これまでの歴史学というものが科学になっていない」という感覚に基づいているように思うからである。(略)
こういうと、歴史学者から大変な抗議が寄せられるかもしれない。その人々はいうだろう。「歴史学だって立派な学問だ。戦前の天皇中心主義的な歴史学は非科学的なものだったが、いまの歴史学は科学的なものになっている。実証的な学問になっている」と。
問題がそこにある。科学好きの人々も、ここでしばしば誤魔化されてしまうのだが、「実証的」ということと「科学的」ということとは違う。もともとすべての学問は実証的である。事実に根ざさない学問なんか、原理的にはありえない。しかし、科学というものは、その「事実に基づく」段階から一歩踏み出したところに成立しているのである。
たとえば、地球説や地動説、原子論といったものを考えてみるといい。そんなものは、事実に基づいて出てきたものではない。むしろ、「直接的な事実を無視した大いなる空想、仮説が、もとになって生みだされた」と言ったほうがいいほどである。
歴史学者は、知られている事実を次々に提示して、歴史の話を構成する。そのこと自体には問題がないように思われるかもしれない。しかしじつは、その「知られている事実を次々と提示すること」が科学好きの私のようなものには我慢がならないのである。(略)科学の話は「知っている事実」からではなく、「知りたい事実」から出発する。(略)ふつうの歴史の本には(もともと歴史好きの人は別にして)、ごくふつうの人が「知りたいと思わない」ようなことが一杯書き連ねてあるかと思うと、一般の人々が「知りたい」と思うような事実はほとんど書かれていないのが普通だ。歴史学者はいつも、「たまたま知られた事実」をもとにして研究する習慣が身についてしまったために、「どんな事実が知るに値する事実なのか」ということを考える習慣がほとんどないことによるのだろう” (「はしがき――歴史と科学と」 2-4頁)
“それでは、日本史を〈理系の目〉=科学の目で見ようと思ったら、まずどんな史料に目をつければいいのだろうか。私はまず、数量的なデータに注目することが大切だと思う。自然科学が対象を数量的に研究してその権威を確立したことはよく知られている。ところが、一般の歴史家は、数量的な事柄にあまり注意を払わない。そこで、歴史の中の数量的なものに注目しただけで、科学の目で見た歴史が構築できることになる” (第14話「江戸時代を数量的に見る――江戸時代後半の相馬藩――」 167-168頁)
“それなら、どんな数量に目をつけるか。「広い地域をおう長い時代にわたる数量の変化が見られるものなら、なんでもいい」というのが、いまの私の結論である。(略)長期にわたる統計資料が入手できれば、長期にわたる社会の変化を見るのにとても役立つ” (同、168頁)
“(明治維新の)結果、まがりなりにも、四民平等が実現し、職業と移住の自由が完全に実現した。そういう結果からすると、「明治維新は市民革命と呼んでもいいのではないか」と私は考えるのである。今日の日本までの間には、敗戦後の民主化の時代があるが、日本は敗戦以前から封建的な時代を脱して、かなり自由・平等な国になったことは間違いあるまい。
つまり私は、「革命の性格は、その革命の担い手やスローガンを見て判断すべきものではなくて、その革命の結果を見て判断すべきものではないか」というのである。本書の主題と関係させて言えば、「物事を動機よりも結果で判断する」という考え方は、「理系の目」の特徴でもあると思うのだが、どうだろうか” (第24話「不思議な革命=明治維新――明治革命は市民革命か否か――」 295-296頁)
“私はいま、「科学研究においては〈実験〉の前の〈仮説〉が決定的に重要だ」と書きましたが、その場合の「科学」というのは、自然科学だけではありません。私は長いあいだ、「社会の科学の場合も実験ができるし、実験で確かめられない理論は、いかにもっともらしくても信用できない」と考えてきました。この場合、私が「実験」というのは、必ずしも「実験器具を使って対象を制御するもの」ばかりではありません。「〈まだその結果を知らない事実について予想・仮説をたてて、その予想・仮説の正否を客観的に確かめる行為〉は、すべて実験と呼ぶべきものだ」というのが、私の実験論=科学認識論なのです” (「あとがき」 309-310頁)
“これまで自然科学教育の中で教えられてきた一つひとつの事実は、間違っていることはほとんどありません。けれども、「その科学のもっとも基本的な概念を理解するためにはどんな問題提起が必要か」ということの研究が見過ごされてきたのです” (同、310頁)
“社会の科学の教育の場合には、これまで真理とされてきたことが本当に真理と言えるかどうかということさえ怪しいことが少なくありません。またその事実そのものは間違っていなくとも、それがもっとも普遍的・一般的な事実でないときには、「そういう事実を教えこまれたために、却って全体が見えなくなる」ということが少なくない” (同、310-311頁)
次は、同じ著者による『社会の法則と民主主義』(仮説社 1988年)を読んでみる予定。
なお冒頭の“考えるヒントとして”が“重大な指摘や貴重な示唆”の婉曲表現であることは言うまでもない。
(朝日新聞社 1996年12月第6刷)