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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

吉森佳奈子 『「河海抄」の「源氏物語」』

2018年01月09日 | 文学
 出版社による紹介

 延喜・天暦を時代の准拠として強く主張した『河海抄』が、一方で、『源氏物語』以降の史実を挙げていることに充分留意してきただろうか。〔略〕言い換えると、『河海抄』を捉えるトータルな視点を持つことなく、作品の方法を論じるのに都合の良い先例だけを取り出して指摘していたのが近代以降の准拠(準拠)論ではなかったか。 (本書18頁)
 
 とりあえず、『河海抄』においては時間の観念が現代人とことなるのではないかという仮定を立ててみよう。過去から現在、そして未来へと不可逆的に直進はしないと。

(和泉書院 2003年10月)

渡邉義浩編 『中国史学の方法論 第八回日中学者中国古代史論壇論文集』

2018年01月09日 | 東洋史
 出版社による紹介

 今年出る『史学雑誌 回顧と展望』でどのような評価を受けるなら受けるだろうと、個人的な興味がある。中国側の議論・視角のほうが(対外的発言ということもあってやや裃を着ている感はあるが、それでも)清新またradicalに見える。
 泰西の理論や方法論をただもちこんで自慢気に振り回すのはradical以前に清新でもまた斬新でもない。旧習もしくは慣習に泥む固陋をひっくり返しただけの同じ思考停止と浅薄、ついでに軽薄の業だ。

(汲古書院 2017年5月)

中国の園林の歴史なのに古代ギリシャの庭園から始める専門書に・・・

2018年01月09日 | 思考の断片
 中国の園林の歴史なのに古代ギリシャの庭園から始める専門書にあたって驚いている。この種の驚きは、中国のイスラム教の歴史なのに『史記』「大宛列伝」の条支うんぬんで始まる専著をみたときから二度目だ。
 そして、その専門書(漢語の通史)では中国の園林が、「いつから在った」「いかに在った」「どのように(又そこから帰納して)なんのために)使われた」が周到に語られる。しかし「なぜ在ったか」がない。言葉を換えれば「中国の人はなぜ園林をつくったのか」という問いがなく、当然のことながら答えもない。
 別のある英文専著(論集)では、「中国人はなぜこのような庭園をつくったのかという問いは、具体個別の事例に即して探究されるべき問題であり、中国庭園の本質とは何かという問いと同様、簡単に一般化できる性質のものではない」と、どういうわけか最後に於かれた専論で、これは劈頭に断じている。

金孝淑「『河海抄』の和と漢 『源氏物語』の世界を読み解く」

2018年01月09日 | 文学
 陣野英則・横溝博編『平安文学の古注釈と受容』第一集、(武蔵野書院 2008年9月)所収、同書124-144頁。
 出版社による紹介

 『河海抄』で「本朝(我朝)」、「異朝(また唐朝・漢朝)」という言葉が多用される(著者の言葉を借りれば「そうした例が際立つ表現として用いられ、「和」と「漢」を取り揃えようとする意識が顕著に見られる」)のは、まず漢語(漢文)で説明して、日本語による説明はそのあと、つまり漢語が主で和語は副もしくは従という、注釈の作者四辻善成の言語マインドによるものと、まず説明できるのではないか。
 要するにそれは漢語(漢文の語彙。少なくとも当人はそう考えていた)だからであろう。
 ただし別の研究によれば、この漢語第一の言語感覚は当時の注釈者においては通例のことだったらしいから、ではこの言葉遣いは他の注釈にはさほど見られず善成だけがなぜ多用したのか(ふたたび金氏の言葉を借りれば“「和」と「漢」を取り揃えよう”としたのか」)と、次なる段階に立った上での説明が必要になる。ちなみに「物語の内容に符号しない内容であっても和漢の例を合わせて並べようとする『河海抄』の注釈態度」(133頁)は、「『河漢抄』固有のものとは言い難い」(同)と合わせて、別の観点から解釈を考える必要があると私は思う。