書籍之海 漂流記

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山田孝雄 『國語の中に於ける漢語の研究』

2018年01月04日 | 抜き書き
 国語の中に存する外来語は観念語に限るものにして、語法上の関係を示す部分、即ち助詞、複語尾等は決して如何なる外国語よりも借用帰化せしむることなし。 (「第一章 序説」本書15頁。原文旧漢字、以下同じ)

 わが国語は外来語に対しては頗る寛容にして無制限にその流入を許せる如くなれど、又厳粛なる境界線の立てられるるありて、その線内には一歩も外来語の窺窬することを許さざるなり。その境界線は〔中略〕次の如し。
 名詞  数詞  状態の副詞
右の三種に於いて漢語が汎濫せりといふべく、これらは外来語の流入の自由区域といひうる程に寛大なり。
 代名詞  は 過去に於いて漢語の頗る跋扈せしものなるが現今の口語にては「僕」一語のみ。
 以上は外来語がその形のまゝに入らむとすれば入り得る範囲なり。この外の区域が外来語のそのまゝの形にては入ることを許さざるなり。
 形容詞  動詞  すべて用言にはそのまゝの形を用ゐたる例なし。但し外来語を語幹として用言の形に活用せしめたる例はあり。又サ行三段の語が外来語を伴ひて動詞として活動せしむること古来より行はれたるが現代は殊にその例多し。
 以上、用言には外来語の帰化して入ることは許せり。されど、それは形質共に国語化したるにあらざれば決して入れざるものにしてこの規律は厳重に守られてあるなり。
 接続の副詞(また、或はの類)
 感動の副詞(あゝ、おゝ、いざの類)
 助詞(人がの「が」花はの「は」の類)
以上は外来語の侵入を断じて許さぬ区域にして、古来曾て外来語の窺窬を許したること無し。
 (「第九章 結論」本書501-502頁)

(宝文館 1940年4月初版発行 1958年11月訂正版第1刷発行 1978年11月訂正版第3刷発行)