書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

小川剛生 『中世の書物と学問』

2018年01月10日 | 人文科学
 出版社による紹介

 〔一条〕兼良は時代に突出した合理精神の持ち主であって、他にも伊勢物語愚見抄を著して、古注の荒唐無稽ぶりを全否定したことは有名である。それはちょうど、朱熹が経書の注釈にあたり、経文に裏の意味を見出そうとする伝や注に拠らず、本文そのものから理解しようとする姿勢にも、どこか通じている。日本の古典研究史では、便宜上、古注・旧注・新注という区別をする。源氏物語では、〔四辻〕善成までを古注、兼良以後を旧注、新注は契沖以後となる。実は、この古注・新注といった名称も漢学・宋学のそれに由来することは言うまでもない。 (「⑤ふたたび書物をつくる――注釈書」同書104頁)

 たとえば四辻善成の『河海抄』が、和語をまず漢語で注釈するという点については措くとして、いったいにその注釈の内容が、小川氏にとっては「迂遠」で、「本文の理解に直結するとは言い難く」、「現代では衒学的、無意味」(89頁)であるとすれば、その感覚は、「河海抄の穿鑿した『准拠』『出典』によりかかることは一切な」(102頁)い一条兼良にも、同じく“動機”として、果たして共有されていたものなのであろうか。
 『花鳥余情』において「准拠」や「出典」を用いず、“朱雀院の心の逡巡を、自らの言葉で明快平易に語っている”(102頁)兼良の姿勢からは、小川氏の仰るとおり“物語それ自体の展開を押さえて注釈するという方向性”(101頁)が見て取れよう。だがそういう行き方を取る兼良の心中はいかに。

*この書の専門家による書評を求めています。博雅の士の教えを請う。出版年および翌年度の『史学雑誌 回顧と展望』「日本 中世」部分にはありませんでした。

2018年1月13日追記

 金文京『漢文と東アジア』(岩波書店 2010年8月)によれば、ほぼ同時期に朝鮮でも日本でも原文への注釈におわらず当時の自分たちの言語で漢語で書かれた原文を解釈しなおす「直解」方式が現れるのだが、儒教経典へのそれは中国からの影響(具体的にはそれ式の注釈の流入)によって解釈されることができるにしても、朝鮮については私は暗いので措き、日本ではそれに加えて日本語の古典に対する注釈もまた、それまでのまず漢語による解釈や説明を行う手順を廃してこれとおなじく現代語での一種「直解」方式を取るに至るのは、ここになんらかの相関関係を看るべきなのだろうか。

(山川出版社 2009年12月)

杉本つとむ 『江戸の言語学者たち』

2018年01月10日 | 人文科学
 「第Ⅲ章 古文辞学派と言語の学習・研究」で、杉本先生は鈴木朖の日本語の“詞”の四分類が、徂徠の『訳文筌蹄』をはじめとする漢語研究とその“字品”(=詞品=品詞)分類から来ていること(176-177頁)、また徂徠の漢語研究はのちの蘭学者のオランダ語学習に影響を与えていること(178頁)に関し、前者は、「〔国文学者の偏見は〕それを認めようとしない」、後者については、「徂徠研究家のどの学者も〔略〕ふれているものはない」、だけでなく、「蘭学とはまったく関係ないと結論づけている徂徠研究者もいるのである」と、厳しく指弾しておられるが、それは当時ほんとうで、いまも本当であるのかどうか。

(雄山閣 1987年11月)