出版社による紹介。
「序論」の第1節のタイトルが「商人たちの視線に寄り添って」という。そういう発想で書かれている。まあ発想はいいのだが、この語彙と表現を用いる文体で精密な論証は難しいだろうと思ったら、実際できていない。「のようである」「と理解できる」「考えられる」「と言えるだろう」等で文および文章の最後を締め括る思考では、仮説(という言葉が出てくる)は、推論なく、それを支持する確たる論拠なくして、実証されず、推測は推測空想は空想に終わり、その上に立って続く“以下同文”の過程の繰り返しは、すべて無効となる。
これは史料をふんだんに使ってはいるがあくまで概説書で、研究書ではないのかもしれない。
(東京大学出版会 2017年9月)
「序論」の第1節のタイトルが「商人たちの視線に寄り添って」という。そういう発想で書かれている。まあ発想はいいのだが、この語彙と表現を用いる文体で精密な論証は難しいだろうと思ったら、実際できていない。「のようである」「と理解できる」「考えられる」「と言えるだろう」等で文および文章の最後を締め括る思考では、仮説(という言葉が出てくる)は、推論なく、それを支持する確たる論拠なくして、実証されず、推測は推測空想は空想に終わり、その上に立って続く“以下同文”の過程の繰り返しは、すべて無効となる。
これは史料をふんだんに使ってはいるがあくまで概説書で、研究書ではないのかもしれない。
(東京大学出版会 2017年9月)