https://www.asahiculture.jp/kyoto/course/206f7e39-ff30-3abe-3a02-5980117a25a0
学者は、世のなかと隔絶されたところで、ひたすら真理の探求に打ち込んでいる、そんな仕事はうらやましいな、と思ったことはないでしょうか? でも彼らは、ほんとうに自由なのか。〔中略〕学問は、時代、学統など、けっこう多くのものにしばられています。講座では、『学問をしばるもの』の刊行にあわせ、学問の裏側に触れつつ、現代における真理や自ら気づくということの重要性まで、編著者でもある講師が語りつくします。
喧々諤々の研究会のあとの飲み会にいくと、発表者が「発表内容はそう言わなければならない学界学派内における立ち位置なのでそう言ったので、自分の本当の意見は異なる」とか、その場にいない別の学者について、学問や人間性についての批判ならまだしも(?)、「彼の今度の論文は業績数のために書いた通説どおりの視座と議論だから相手にしなくてよい」とかいう内情の交換の場だったりするのこともときにあるので、私としては正直あまり興味を感じない。
学者は、世のなかと隔絶されたところで、ひたすら真理の探求に打ち込んでいる、そんな仕事はうらやましいな、と思ったことはないでしょうか? でも彼らは、ほんとうに自由なのか。〔中略〕学問は、時代、学統など、けっこう多くのものにしばられています。講座では、『学問をしばるもの』の刊行にあわせ、学問の裏側に触れつつ、現代における真理や自ら気づくということの重要性まで、編著者でもある講師が語りつくします。
喧々諤々の研究会のあとの飲み会にいくと、発表者が「発表内容はそう言わなければならない学界学派内における立ち位置なのでそう言ったので、自分の本当の意見は異なる」とか、その場にいない別の学者について、学問や人間性についての批判ならまだしも(?)、「彼の今度の論文は業績数のために書いた通説どおりの視座と議論だから相手にしなくてよい」とかいう内情の交換の場だったりするのこともときにあるので、私としては正直あまり興味を感じない。