書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

『学問をしばるもの』出版記念 学問の裏と表| 京都教室 | 朝日カルチャーセンター

2018年01月08日 | 思考の断片
 https://www.asahiculture.jp/kyoto/course/206f7e39-ff30-3abe-3a02-5980117a25a0

 学者は、世のなかと隔絶されたところで、ひたすら真理の探求に打ち込んでいる、そんな仕事はうらやましいな、と思ったことはないでしょうか? でも彼らは、ほんとうに自由なのか。〔中略〕学問は、時代、学統など、けっこう多くのものにしばられています。講座では、『学問をしばるもの』の刊行にあわせ、学問の裏側に触れつつ、現代における真理や自ら気づくということの重要性まで、編著者でもある講師が語りつくします。

 喧々諤々の研究会のあとの飲み会にいくと、発表者が「発表内容はそう言わなければならない学界学派内における立ち位置なのでそう言ったので、自分の本当の意見は異なる」とか、その場にいない別の学者について、学問や人間性についての批判ならまだしも(?)、「彼の今度の論文は業績数のために書いた通説どおりの視座と議論だから相手にしなくてよい」とかいう内情の交換の場だったりするのこともときにあるので、私としては正直あまり興味を感じない。

井上章一編 『学問をしばるもの』

2018年01月08日 | 人文科学
 出版社による紹介

 「まえがき」や「あとがき」の文章にやたらに(その基準と必要性が分からぬほどに)太字をちりばめてみても、タイトルのフォント排列に奇を狙ってみても、現実とはなにも関わらない。この中で取り上げられ、嘆かれ、変化が希求される「学問」とは、そこにいる人々にとって(あるいは人々も含めて)、「しばるもの」すべてをひっくるめて「学問」なのだと思えばよいのではないか。ならば不平不満もおきまい。一つの提案。

(思文閣 2017年10月)