陣野英則・横溝博編『平安文学の古注釈と受容』第一集、(武蔵野書院 2008年9月)所収、同書124-144頁。
出版社による紹介。
『河海抄』で「本朝(我朝)」、「異朝(また唐朝・漢朝)」という言葉が多用される(著者の言葉を借りれば「そうした例が際立つ表現として用いられ、「和」と「漢」を取り揃えようとする意識が顕著に見られる」)のは、まず漢語(漢文)で説明して、日本語による説明はそのあと、つまり漢語が主で和語は副もしくは従という、注釈の作者四辻善成の言語マインドによるものと、まず説明できるのではないか。
要するにそれは漢語(漢文の語彙。少なくとも当人はそう考えていた)だからであろう。
ただし別の研究によれば、この漢語第一の言語感覚は当時の注釈者においては通例のことだったらしいから、ではこの言葉遣いは他の注釈にはさほど見られず善成だけがなぜ多用したのか(ふたたび金氏の言葉を借りれば“「和」と「漢」を取り揃えよう”としたのか」)と、次なる段階に立った上での説明が必要になる。ちなみに「物語の内容に符号しない内容であっても和漢の例を合わせて並べようとする『河海抄』の注釈態度」(133頁)は、「『河漢抄』固有のものとは言い難い」(同)と合わせて、別の観点から解釈を考える必要があると私は思う。
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『河海抄』で「本朝(我朝)」、「異朝(また唐朝・漢朝)」という言葉が多用される(著者の言葉を借りれば「そうした例が際立つ表現として用いられ、「和」と「漢」を取り揃えようとする意識が顕著に見られる」)のは、まず漢語(漢文)で説明して、日本語による説明はそのあと、つまり漢語が主で和語は副もしくは従という、注釈の作者四辻善成の言語マインドによるものと、まず説明できるのではないか。
要するにそれは漢語(漢文の語彙。少なくとも当人はそう考えていた)だからであろう。
ただし別の研究によれば、この漢語第一の言語感覚は当時の注釈者においては通例のことだったらしいから、ではこの言葉遣いは他の注釈にはさほど見られず善成だけがなぜ多用したのか(ふたたび金氏の言葉を借りれば“「和」と「漢」を取り揃えよう”としたのか」)と、次なる段階に立った上での説明が必要になる。ちなみに「物語の内容に符号しない内容であっても和漢の例を合わせて並べようとする『河海抄』の注釈態度」(133頁)は、「『河漢抄』固有のものとは言い難い」(同)と合わせて、別の観点から解釈を考える必要があると私は思う。