『西洋史学』260(2015年)掲載、同誌42-55頁。
理論は自分がつくるものではなく、「西洋から来るもの」という考えが支配的であったため、自前の歴史理論専門家など必要ないと考えていたようである。基本的にはこの発想が現在でも続いていると言える。 (「4 日本において歴史学はディシプリンとして扱われているか」 46頁)
理論は自分がつくるものではなく、「西洋から来るもの」という考えが支配的であったため、自前の歴史理論専門家など必要ないと考えていたようである。基本的にはこの発想が現在でも続いていると言える。 (「4 日本において歴史学はディシプリンとして扱われているか」 46頁)