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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

井筒俊彦 「中世ユダヤ哲学史」

2013年12月14日 | 東洋史
 『岩波講座東洋思想』第2巻(岩波書店 1988年1月)所収。

 イブン・ガビーロールの考える「質料」―「形相」の関係は、朱子学で云うところの「理」―「気」のそれ(理先気後)に相似するのか否か。前者があってのちに後者があるという、二元論としてである。ただし朱子学に「神」は存在しないが。
 しかしながら、形相は現勢態、質料は此の世に普遍的に貫流する潜勢態にして現勢態の原理であるということは、彼イブン・ガビーロールにおける質料は理と気を兼ね備えたものということになるのであろうか。ただし彼においては、後者は神から直接に現出(流出?)し、前者は神の「意思」によって現出するという差がある。
 ちなみに、彼の世界認識――宇宙論と云ってよいのかどうか――においては、朱子学で言う形而上と形而下の区別はないという(?)。
 以上、理解の為のメモ。

荻生徂徠著 小川環樹訳注 『論語徴』 全2巻

2013年12月14日 | 東洋史
 宮崎市定氏は『論語の新研究』(岩波書店 1974年6月)で、「堯曰」篇の「敏則有効、公則説」を、伊藤仁斎と同じく、「公」は「恵」の誤りであるとして後者に置き換えて解釈している。その理由の説明が非常に興味深い。「公孫龍子の研究」とともに、氏のテキスト解釈(校勘含む)手法の根本原理に触れるものだと思っている。
 荻生徂徠は、『論語徴』で伊藤仁斎説を批判して、『論語』に「公」の字が少ないからという理由で字を改めるのはおかしいとして、「公」の字のままで解釈している。さらに徂徠は、「公(おおやけ)」の語と概念は宋儒の「天理の公」だけでなく『書経』を初めとする経典にも見えるから公でおかしくないとして自らの立場を補強する。
 しかし、仁斎が、ここは公ではおかしいと言ったのは、数だけではなく、その意味から判断してであった。「天理の公」はもちろん、ほかの経書に見られる「公平」の意味の「公」も『論語』には現れないというのがその理由である。
 この点については、宮崎御大も指摘している。『論語』における「公」は、身分や位といった意味の「公」と、あとはそれから派生した「公(の)門」とか「公(の)室」といった具体的即物的な用法のそれしか見ることは出来ない。
 ここで徂徠は、故意かどうかはわからないが徂論点をずらして批判している。

 (ただ、私の見るところ、一例だけ、ここは宮崎氏と私と意見を異にするのだが、「おおやけ」もしくは「私事とは関わりない政府国家(公)の勤めの」というニュアンスで使われていると解釈できる用例がある。「雍也」篇、「有澹薹滅明者、行不由徑、非公事、未嘗至於偃之室也」の「公事」である。宮崎氏はこれを「公用」と訳しておられる。それにも関わらずどうしてそう取らないのかわからない。ちなみに吉川幸次郎先生は「公務」と訳しておられて、私と同じ見方をしているようである(朝日新聞社『論語』上)。)

 では当の徂徠は『論語徴』でどう解しているか。
 驚くべき事にこの条、同書ではやや無用な程に饒舌な徂徠にしては奇妙なのだが、一言も注釈をつけていない。何のための注釈書であろう。仁斎の解釈が間違っていると言うのであれば、「これが正解である」と自分の解釈を提出するのが学者として当然の責務であり作法ではないか。 徂徠という人、案外に文章が下手だ(議論が迂遠である)。世間言われるほどの学者ではなさそうなというのが正直な感想である。

付記

 ちなみにこれで、あまり脈絡は無いが思いだしたことがある。『尚書』「洪範」篇に見える「無偏無党」という言葉は、通常は「私に偏することなくどちらにもどこにも傾かず」という意味に解されるらしい。なお殷の箕子が周の武王に与えたというこの篇の建前上の成り立ちからして、想定されている主語は、当然ながら「君主」である。
  つまりいまの言葉で言えば「公平無私」ということか。ちなみに君主の「公」とは、自身の好悪に左右されること(これが私)ではなく、民のそれを自らのそれとすることだと、別の箇所に書いてある。
 『論語』「憲問」篇の「子曰、古之學者爲己、今之學者爲人」を、孔安国は「己の為にすとは履みて行うなり。人の為にすとは徒に能く言うのみ」と注している。http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/ro12/ro12_00525/ro12_00525.pdf …テキストのみを看て、これをどうやったらそう解釈できるのか。与太もいい加減にしろと言いたい。

(平凡社 1994年3月)

三枝博音 「『聖教要録』解説」

2013年12月14日 | 日本史
 『日本科学古典全書』1(朝日新聞社、1942出版、1978/1復刻、所収)

 山鹿素行『聖教要録』に、道と理について素行の考えが箇条書きの形で記してある(テキストは同書所収のそれによる)。
 先ず、「道」の条。

  道は日用共に由り当に行ふべき所にして、条理有るの名なり。天能く運り、地能く載せ、人物能く云為す。各々其の道有りて違ふべからず。道は行ふ所有るなり。日用以て行ふべからざれば則ち道にあらず。〔後略〕

 次に、「理」の条。

  条理有る、之を理と謂ふ。事物の間、必ず条理あり。条理紊るるときは、則ち先後本末正しからず。性及び天、皆理と訓ずるは最も差謬せり。凡そ天地人物の間、唯自然の条理有る、是れ理なり。

 三枝博音氏はこの素行の「理」を、「尤も未だ十分と云へないことは勿論であるが」と但し書きを付けた上で、「〔素行は〕宋儒の形而上的解釈から離れて自分の連関の間に存する法則として解した」のであり、「宋学の〔人間の性や天を理と解するような〕考へ方に比すればはるかに具体的であり、学術的である」と評価されている。私も同意する。
 

藪内清/吉田光邦編 『明清時代の科学技術史』

2013年12月14日 | 東洋史
 戴震(1724-1777)は、梅文鼎(1633-1721)と比べると、西洋数学の理解と実力において遜色がある由。しかし清も下って彼の時代になると、梅が著書で言うことをともかくもすべて理解できるのは戴ぐらいになっていたという。
 方以智は、物理学で人間の倫理原則も窮められると思っていたらしい。『物理小識』の冒頭「盈天地間皆物也」は、そういう意味だったのか。理解が足らなかった。もっとも200年後の康有為や梁啓超は幾何学でそう思っていたから(こちらこちら)、一概に笑うわけにはいかない。
 以上、本書所収藪内清「戴震の暦算学」および坂出祥伸「方以智の思想 質測と通幾をめぐって」を読んで、教えられたこと。

(京都大学人文科学研究所 1970年3月)