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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

アーサー・ウェイリー著 加島祥造/古田島洋介訳 『袁枚 十八世紀中国の詩人』

2013年12月10日 | 伝記
 彼が公然と女弟子を取り、しかも当時の価値観からする世間の倫理的指弾に些かも動じなかったことについては、彼の好色もあるだろうが、それとは別に、その生涯において、幼時から周囲に教養あり才気ある女性が入れ替わり立ち替わり常に存在し、性別で決して人の優劣は決まらぬという尊敬すべき実例が身近に有り続けたということもあるのではないか。
 この伝でおもしろいのは袁枚よりも彼を取り巻く人間と状況である。彼を彼たらしめる有縁の人々の生きた様だ。
 もっともいちばん面白いのは、英国から出ることなく、これほどの漢語能力(日本語もだが)と学識とをみずからの裡に集積したアーサー・ウェイリーという怪物学者だが。

(平凡社 1999年3月)

内藤湖南 『章學誠の史學』

2013年12月10日 | 東洋史
 「青空文庫」所収。

 この人はその道の發生して來る順序を考へて、道は天に生じ、天地が人を生ずれば、斯に道があるのであるが、それだけでは未だ形に現はれない。道の形に現はれるのは三人居室から始まる。三人室に居れば、そこに分任、今日の言葉で言へば分業といふものが生ずる。或は各※(二の字点、1-2-22)別に事を司る、或は更代の仕事をするといふことになるが、さうなつて來ると均平・秩序といふことが出來る。平等と秩序とが紊れることがあるので、年長者をしてその平を持せしめる、即ち裁判をするといふことになる。それからして長幼尊卑の別も出來、それから什伍千百といふやうに數が殖えて、さうして各※(二の字点、1-2-22)組が分れるといふことになつて來ると、各※(二の字点、1-2-22)その上に才のすぐれた組の頭が出來、さうして更に徳の盛んなものを推して之を統治するといふことになつて、そこに君となり師となる者が出來て來る。/かくの如くして道は段々發展して來たのであるが、〔後略〕  (下線は引用者)

 山鹿素行『聖教要録』における道(理)の捉え方に似ていないか?
 ところで章学誠とエジソンの少年時代は、どうも似ている。譬えれば司馬遼太郎『竜馬がゆく』における、坂本竜馬のそれのような。これは再読の雑感。