大地のあらゆる事物はみな単純から複雑へ、素樸から文明へ、悪から善へと進化し、地質学でいう各層の岩石と同じように、一定の段階、一定の時期があって、その順序を乱すことはできない。中国は多君の世であるのに、国家はすでに民主政治が行われているとか、すでに民主政治が行われているのに突然君主政治にもどるとかいうことは、公理に合っていない。幾何学に通じたものならきっとこの道理がわかるだろう。 (伊東昭雄訳、西順蔵編『原典中国近代思想史』第二冊、岩波書店1977年4月、「君主政治より民主政治への推移の道理について」、同書203頁。下線は引用者、以下同じ)
原文。
大地之事事物物,皆由簡而進于繁,由質而進于文,由惡而進于善,有定一之等,有定一之時,如地質學各層之石,其位次不能凌亂也。今謂當中土多君之世,而國已有民政,既有民政,而旋复退而為君政,此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之。 (『維基文庫』「論君政民政相嬗之理」)
最後部の「此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之」にあるこの公理は、みなが納得する道理(=公道)という伝統的な意味ではなく(注1)、証明不要の公理、すなわち梁啓超本人がそのすぐ後で念を押すように名を出している幾何学の公理である。
注1。例えば晋の陳寿『三国志』巻57「呉書 張温伝」。“競言〔暨〕艷及選曹郎徐彪,專用私情,愛憎不由公理。” 清の姚鼐 『礼箋序』。“经之説有不得悉穷。古人不能无待於今,今人亦不能无待於后世。此万世公理也。”
この新しい意味における「公理」は、ひょっとして日本からの輸入語かと思ったが、どうもそうではないらしい(注2)。
注2。大原信一「中国語にはいった日本語」(『東洋研究』82、1987年2月、81-101頁)に、1949年以後の現代中国で出版されている外来語辞典および研究のなかから日本語来源の借用語と認定されている語彙を摘出してアイウエオ順に並べた表が載せられているが、そこには見えない。
しかし、いつからこの意味で「公理」が使われ出したのか、いまつまびらかにしない。手持ちの諸橋轍次『大漢和辞典』には用例がなく、1979年度版『辞海』も同じである。徐光啓/マテオ・リッチ『幾何原本』(1607年刊)では、公理は「公論」と訳されている(巻二)。
原文。
大地之事事物物,皆由簡而進于繁,由質而進于文,由惡而進于善,有定一之等,有定一之時,如地質學各層之石,其位次不能凌亂也。今謂當中土多君之世,而國已有民政,既有民政,而旋复退而為君政,此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之。 (『維基文庫』「論君政民政相嬗之理」)
最後部の「此于公理不順,明于几何之學者,必能辨之」にあるこの公理は、みなが納得する道理(=公道)という伝統的な意味ではなく(注1)、証明不要の公理、すなわち梁啓超本人がそのすぐ後で念を押すように名を出している幾何学の公理である。
注1。例えば晋の陳寿『三国志』巻57「呉書 張温伝」。“競言〔暨〕艷及選曹郎徐彪,專用私情,愛憎不由公理。” 清の姚鼐 『礼箋序』。“经之説有不得悉穷。古人不能无待於今,今人亦不能无待於后世。此万世公理也。”
この新しい意味における「公理」は、ひょっとして日本からの輸入語かと思ったが、どうもそうではないらしい(注2)。
注2。大原信一「中国語にはいった日本語」(『東洋研究』82、1987年2月、81-101頁)に、1949年以後の現代中国で出版されている外来語辞典および研究のなかから日本語来源の借用語と認定されている語彙を摘出してアイウエオ順に並べた表が載せられているが、そこには見えない。
しかし、いつからこの意味で「公理」が使われ出したのか、いまつまびらかにしない。手持ちの諸橋轍次『大漢和辞典』には用例がなく、1979年度版『辞海』も同じである。徐光啓/マテオ・リッチ『幾何原本』(1607年刊)では、公理は「公論」と訳されている(巻二)。