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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

李文澤/霞紹暉校点 『司馬光集』

2013年12月09日 | 東洋史
 繁体字。
 第三冊、「劉道原十國紀年序」(1350-1354頁)に、

 或稠人広坐、介甫之人満側、道原公議其得失、無所隠。 (1352-1353頁)
 或いは稠人〔第三者〕が広く坐り、介甫〔王安石〕の人側らに満てども、道原〔劉恕〕其の得失を公議し、隠す所無し。


 この“公議”は、「公的な利益という基準に基づいて議論する」という意味だとされる(→例えばこちら)。しかし、“おおっぴらに(公開で)口に出して論じる”という、もっとシンプルな意味でも十分通じる。それに前者の「公的な利益(公利)」も、公共の利益ではなく国家の利益である。公共という観点でいえば、その種の概念は、司馬光に与して国家の現在の利益擁護=現状維持=己と己の階層が現在の教授している利益の擁護を目的とする旧法党に属していた劉恕の側にではなく、広範な社会構成員の利益と安寧とを視界に入れて新しい政策を立案・遂行した王安石のほうに、より在った。

(四川大学出版社 2010年2月)