くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「山月記」続き

2013-09-06 05:13:39 | 近代文学
 わたしは李徴の告白を、懺悔だとは思いません。いや、誰もそんなこと言ってはいないんですが。
 虎になりきってしまう前に、妻子のことを頼むべきだが、詩を優先してしまう自分に気づいていることを李徴は語ります。だから、虎になってしまったのだと。このあたりからも、わたしは李徴という男が内面的に変化したとは思えないのですよ。
 なんてことを言ってますが、分科会では校種が違うことや実際に授業で教えたことがないので、きちんとまとめられなかったんですけどね。でも、意外と袁慘という人物設定は大きいと思いますよ。
 普通、虎に向かって「その声は、我が友、李徴子ではないか?」なんて言えません。李徴にとっては「最も親しい友」(ここ、視点が変化してますよね)ですが、袁慘にはほかにも友達はいるでしょうし。
 高校の先生は「山月記」をどう教えているのかという話題も出ましたが、「一行目からわからないと言われて、辞書を何度も引かせて説明した。最後は結構理解できてきて、自分がなるとしたらウサギかな、とか盛り上がった」とおっしゃった方が。
 いやいやいや、それは理解してないのでは?
 「人間は誰でも猛獣使い」とあるけど、君のはどんな猛獣? という質問もありました。話のネタとしてはありかもしれませんが、やっぱりそれも違うと思う。教師がストライクゾーンに投げられなければ、生徒は正確に打ち返せないのではないかな。ごめんなさい、えらそうで。わたしも李徴と似たようなところがあるのは重々承知です。
 今回、公開授業ではないもう一時間の授業(これは三年生の現代文「舞姫」)も見せていただいたんですが、これがすっごくおもしろくて、おかげで前の時間のことはふっとんでしまったのですよー。表面に現れない事件や醜聞を切り取って、時代背景を反映させながら解釈していく。見学者がいるのに、生徒は夢中になって話し合うんです。黒板もほとんど使わないのに、わかる。自分ならクビになったあとドイツに残るか、それとも帰国するか。豊太郎のもとに母の手紙とその死を知らせる手紙が同時に届くその意味は何か。あぁ、続きが気になってならない! 先生、わたしは高校時代豊太郎はひどい奴だとしか思わなかったんですが、この授業ではどんな着地点なんですか? 
 分科会は図書館でやったのですが、十年前に訪れたときとは大分変わっていました。書架の並びとか展示とか。配列も。新しい本が増えていて、わたしが在学中に借りたものは「シューベルト歌曲集」くらいしか見つかりません。パソコン管理になったので、カードも抜いてあったなあ。
 恩師先生の授業の声が昔と変わらず、校舎も変わったところもあればそうでないところもあり、ノスタルジックな気分で職場に終了報告の電話を入れたところ、授業参観のみで申し込んだのに、と言われ……。
 名簿を見直したら、確かにそう書いてあって愕然。本当に注意力散漫なわたしですみません。
 とりあえず、「舞姫」読み直してみます。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿