くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

山寺芭蕉記念館に行く

2015-08-12 07:17:59 | 〈企画〉
 昨日は茂吉、今日は芭蕉。山形は文人にゆかりのある地ですね。
 まずは山寺。千段以上ある石段をへろへろになりながら上ります。以前上ってから十五年経ち、身体が重くて大変でした。しかも、サンダルしか持っていかなかったし。
 猛暑というほどの天候ではなかったのですが、すっかり汗だくです。
 でも、非常に見晴らしがよくて、のぼったかいがありました。
 下山後門前町で食べた塩ミルクソフトがおいしかった!

 その後、山寺芭蕉記念館へ。
 なんかすぐ近くだと思っていたのですが、とりあえず車で移動しました。
 絵はがきとか小中学生用のパンフレットまでもらって、恐縮です。
 わたしの興味の中心はもちろん「おくのほそ道」なのですが、この旅に出る前の4つの紀行が四十一歳からの五年間に集中していると聞いてびっくり。
 さらに深川から杉風の別所に移る際詠まれた句の原型の短冊、「草の戸もすみかはるよや雛の家」とありました。
 教科書は「住み替はる代ぞ」です。
 切れ字が変わるだけでイメージ違いますよね。実際に「表八句」としてかけていったのはどちらなのか、気になります。
 映像はほんのちょっとしか見なかったのですが、山刀伐峠の場面でした。よく言われますが、曾良の日記と比較すると違ったことが書いてある。これは、宗祗を意識したものだろうということで、芭蕉の笠の内側にかかれた文字を紹介していました。宗祗の句を一部変えて書き込んでいる。
 彼は現実を歩きながら、虚構を歩いていたのだろうと。
 そういう感じ、よくわかります。
 お昼は近くの「風雅の国」で、と思っていたのですが、定休日でした。残念!

 帰りはその山刀伐峠あたりのコースを、芭蕉とは逆に戻ります。
 封人の家に寄りました。これは、「蚤虱馬が尿する枕もと」と詠まれた芭蕉宿泊の地。江戸時代の家がそのまま残っています。
 もう閉館ぎりぎりなのに、見せていただきました。ありがとうございます。
 驚いたことは、まず、「蚤虱」での連句の記録が残っていたこと。後に書き直して表具したのだと思いますが、こうやって旅していくのだなあ、ということがとても伝わってきました。
 それから、当時の建築ですから、釘はほとんど使われず木組みと綱とで建てられているのだそうです。あの震災でも、綱は一本も切れなかった。
 芭蕉が座ったであろう位置も教えていただきました。囲炉裏の事務所に近い方だろうということです。
  分水嶺も見てきました。
 わたしはよく道を知らない方なので、芭蕉は平泉からどういうコースで鳴子や山形に抜けたのかと思っていましたが、今回戻ってきてみて多少の違いはあるにしても街道は同じだろうと感じました。尿前の関とか芭蕉衣掛けの松とかも通ります。
 「おくのほそ道」にさらに興味を感じました。