読書感想文の季節となりました。例年よりも出遅れているので、候補を絞ってから対象作品を読みはじめたのですが。
こ、これを読んでから作文を読み直したら、明らかに誤読している……。富子がガマを出ていくのは「姉を探しに」行くんじゃないよーっ。お父さんから言われた台詞も間違っているから、解釈が反対になってよーっ。わたしが読んだ「白旗の少女」(講談社)とキミの読んだ本は違うのか?? と思うほどです。
でも、他の作品よりはずっといいので推敲し直して出品しますけどね。
わたしは図書室の棚を考えるとき、ある程度のコーナーを意識します。その一つが「戦争」。ですからこの本のことはずいぶん前から意識していましたし、大体どこの学校にもありました。
が。何しろ古い本なので、自分で読もうと思ったことはないんです。この作文を読んだときも、「いまどきこういう本を読む中学生がいるんだ?」と思ったくらい。
ところが、読んでみるとこれがおもしろいのです。あ、おもしろいというと語弊があるかな。比嘉富子さんの波乱に満ちた戦争体験から、目をそらすことができないのです。
日本で唯一地上戦が行われた沖縄。父親が食糧を探しに行ったまま帰って来なかったことから、姉たちとともに家を捨てて逃げることになります。このとき富子さんはわずか七歳。なんと、うちの娘よりも幼いではないですか!
兄と身を寄せ合って眠っているとき、砲弾が当たった兄は亡くなります。まだ体も暖かい。何よりも富子さんの頭はごく近くにあり、彼女にけががなかったのが信じられないほどです。
さらに、姉たちともはぐれてしまい、彼女は一人、戦地となった場所をさまようことになるのです。
その間に死体を見つけたり、食べ物がなくて苦しんだり、兵士たちの残虐な行動を見たり。富子さんは日本刀を持った兵士に追いかけられて、九死に一生を得たことまであるのです。
やがて、入り口がわからないようなガマを見つけ、そこに住んでいたおじいさん、おばあさんと親しく暮らすことになります。おじいさんは戦禍のためか手足を失い、おばあさんは目が見えません。誰かが二人をここに連れてきてくれたはずなのに、そのことを聞いてはいけない気がして、最後まで名前も知らないままだったそうです。
おじいさんは、やがて富子にある決断を促します。
「いいかね、富子の命は、自分のためだけにあるんじゃない。富子を生んでくれたお父さんやお母さんのものでもあるんだ。なぜなら、お父さん、お母さんは死んでも、富子の体なかで生きているものがある。それは、血だ。富子の血は、お父さん、お母さんの血と同じなのだ。だから、だいじに生きつづけられるだけ生きることが、富子の役目なんだ」
おじいさんたちが作ってくれた白旗を持って、富子は歩いていきます。白旗を持って手を振る少女の姿は写真に撮られて、メディアに残されました。
後年、そのフィルムを見た富子さんが、あの写真を撮った人に会いたいと思ったことが、この自伝の幕を上げるのです。
さて、わたしがこの本を読みはじめたとき、先年比嘉富子さんをテレビで見たとおっしゃる方がいました。確かに経歴を見ると、まだ七十代なんですねぇ。わたしの父とそう変わりません。古い本だと思っていましたが、出版は二十年ちょっと前でした。
戦争の記憶を風化させてはならないとわたしは考えています。その点でも、価値のある一冊でした。
こ、これを読んでから作文を読み直したら、明らかに誤読している……。富子がガマを出ていくのは「姉を探しに」行くんじゃないよーっ。お父さんから言われた台詞も間違っているから、解釈が反対になってよーっ。わたしが読んだ「白旗の少女」(講談社)とキミの読んだ本は違うのか?? と思うほどです。
でも、他の作品よりはずっといいので推敲し直して出品しますけどね。
わたしは図書室の棚を考えるとき、ある程度のコーナーを意識します。その一つが「戦争」。ですからこの本のことはずいぶん前から意識していましたし、大体どこの学校にもありました。
が。何しろ古い本なので、自分で読もうと思ったことはないんです。この作文を読んだときも、「いまどきこういう本を読む中学生がいるんだ?」と思ったくらい。
ところが、読んでみるとこれがおもしろいのです。あ、おもしろいというと語弊があるかな。比嘉富子さんの波乱に満ちた戦争体験から、目をそらすことができないのです。
日本で唯一地上戦が行われた沖縄。父親が食糧を探しに行ったまま帰って来なかったことから、姉たちとともに家を捨てて逃げることになります。このとき富子さんはわずか七歳。なんと、うちの娘よりも幼いではないですか!
兄と身を寄せ合って眠っているとき、砲弾が当たった兄は亡くなります。まだ体も暖かい。何よりも富子さんの頭はごく近くにあり、彼女にけががなかったのが信じられないほどです。
さらに、姉たちともはぐれてしまい、彼女は一人、戦地となった場所をさまようことになるのです。
その間に死体を見つけたり、食べ物がなくて苦しんだり、兵士たちの残虐な行動を見たり。富子さんは日本刀を持った兵士に追いかけられて、九死に一生を得たことまであるのです。
やがて、入り口がわからないようなガマを見つけ、そこに住んでいたおじいさん、おばあさんと親しく暮らすことになります。おじいさんは戦禍のためか手足を失い、おばあさんは目が見えません。誰かが二人をここに連れてきてくれたはずなのに、そのことを聞いてはいけない気がして、最後まで名前も知らないままだったそうです。
おじいさんは、やがて富子にある決断を促します。
「いいかね、富子の命は、自分のためだけにあるんじゃない。富子を生んでくれたお父さんやお母さんのものでもあるんだ。なぜなら、お父さん、お母さんは死んでも、富子の体なかで生きているものがある。それは、血だ。富子の血は、お父さん、お母さんの血と同じなのだ。だから、だいじに生きつづけられるだけ生きることが、富子の役目なんだ」
おじいさんたちが作ってくれた白旗を持って、富子は歩いていきます。白旗を持って手を振る少女の姿は写真に撮られて、メディアに残されました。
後年、そのフィルムを見た富子さんが、あの写真を撮った人に会いたいと思ったことが、この自伝の幕を上げるのです。
さて、わたしがこの本を読みはじめたとき、先年比嘉富子さんをテレビで見たとおっしゃる方がいました。確かに経歴を見ると、まだ七十代なんですねぇ。わたしの父とそう変わりません。古い本だと思っていましたが、出版は二十年ちょっと前でした。
戦争の記憶を風化させてはならないとわたしは考えています。その点でも、価値のある一冊でした。