臨済宗のお坊さんの書いた『家族葬』を読みました。2007(平成19)年の発刊ではありますが、新しい形の葬式=家族葬は増えているだけに、次代を見据えたもの思いました。
私の周りでは、まだまだ寺檀家制度が崩壊してきているとは感じられませんが、地域によっては檀家の多くは郊外へ移り住むことで同制度が揺らいでいるようです。よって「死に方が一大変貌を遂げている」という様相も表れているという。
家族葬は、時代のニーズから誕生した新しい儀式。宗教は時代とともに変わってきている。インドではバラモン教→ヒンドゥー教に。そこでは仏教がすでに消えている。おおもとの宗教も人々のニーズによって変わるわけですから葬儀の形が変わるのも当然の成り行きといえなくはありません。
故人が好きだった愛唱歌を演奏した音楽葬やファミリー葬、リビング葬・・果ては僧侶を呼ばない家もあるといいます。
著者はキッパリ言う。「葬儀は今、家の柱となっている者の甲斐性であり褌(ふんどし)なのだ。キチッと締めて臨んだらどうか。信念のある家族葬は良いが、たんにケチだけでは・・」つまり葬式はしないが、その金で無駄遣いするようではいけない、それこそ「死に金」と言うものだ、と。
従来型葬儀の否定はなぜなのか、著者の核心を突く説明がつづきます。(興味をお持ちの方は本書で)
ご自身が現役の僧侶であるだけに言いにくいことと思われることもハッキリ述べていらっしゃる。それだけに説得力がありました。
葬式を「キチッと締めて臨む」。家族葬であってもそうでなくとも、それはすでに亡き故人ではなくそれは遺族の“任務”なのかもしれません。
著者:牛込 覚心(1940(平成15)年 浅草生まれ 牛次郎の筆名で作家活動も。
お寺:転法輪山 願行寺(がんぎょうじ)静岡県伊東市
新たなる葬式の波『家族葬』 |
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牛込覚心 著 | |
国書刊行会 |
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