ポポロ通信舎

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陸軍登戸研究所の真実

2011年12月04日 | 研究・書籍

明治大学は2010年3月、生田キャンパス内に登戸研究所(正式名 第九陸軍技術研究所)の跡地に資料館(正式名 明治大学平和教育登戸研究所資料館)を造り一般公開しています。入場無料ですが、休館日が多いので要注意。

陸軍登戸研究所は、陸軍中野学校、関東軍情報部、特務機関と連携して生物化学兵器、電波兵器、風船爆弾、紙幣の偽造など謀略戦の兵器を開発していた秘密部隊の一つです。

『陸軍登戸研究所の真実』の著者、伴繁雄氏(元幹部所員、陸軍少佐)は「大人には話さないが高校生には話そう」と歴史の証人として原稿を書きあげ、直後14日目に急逝された。「数日前から晴れ晴れした気分だ、と申しておりました。長い間の肩の荷を下ろした責任を果たせたことでホッとしていたようでした」(夫人、伴和子氏)。1993年、享年87歳。

(1)欧米各国の技術的情報の収集に専念せよ(2)総合、分析、評価するたんなる「インフォメーション」でなく「インテリジェンス」化を実施せよ(3)諜報、謀略をプライオリティとせよ(4)いかなるテーマでも基礎研究と応用研究をともに実施(5)今日はアイデアとイマジネーションの時代であることを考え、努めて研究予算を節減し時代にふさわしい新規性、独創性兵器の実現に一層努力せよ・・以下省略。

(1)からの上記は、著者の長年の上司であった篠田所長の説示の抜粋です。ここで感心してはいけないところかもしれませんが、この「説示」は現代のビジネス・イノベーション競争社会でも十分通用するようなコクのある内容に感じました。

「電波兵器の研究」の章では、すでに放射線に関する研究が八木アンテナの開発で知られている八木秀二氏(大阪帝大教授)の所轄として検討され始めていましたが途中で中止。一方、強力超音波(殺人光線)の研究は終戦までつづいたといいます。

本書の寄稿者の一人、渡辺賢二氏(法政二高教諭)は、非人道的な実験や開発も戦争悪ととらえる必要があるとして「731部隊や登戸研究所の関係者は一人も戦犯にならなかった事実。それは米軍に資料を提供したことによる免訴であった。ここに秘密戦・謀略戦の本質がある。1945年8月15日に日本は戦争を終結したが、秘密戦・謀略戦の構造は変わらず米軍に引き継がれたのである」と、ズバッと核心に迫っています。さらに渡辺賢二氏は「戦争を生み出したものが人間なら、廃棄できるのもまた人間である」として「科学の平和利用の在り方を研究することが21世紀の課題」と、提起されました。技術過信に陥り原発禍に見舞われている今日、これからの科学の進歩とその果たす役割を本書を通してまた考えさせられました。

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陸軍登戸研究所の真実
伴繁雄(元陸軍技術少佐)
芙蓉書房出版

 

 

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