労働争議より小作争議が多かった
大正から昭和にかけて農民運動の形態は小作争議が中心であった。私の認識では、当時の国内では労働争議件数よりも小作争議のほうが少なかったのではないかと思っていたが、史実は逆だった。満州事変(1931)後の労働争議件数は不明。
1920年(大正9)小作争議 408件 34,650人
労働争議 282件 16,371人
1921年(大正10)小作争議 1,680件 145,898人
労働争議 333件 54,506人
1926年(昭和元)小作争議 2,751件 151,061人
労働争議 495件 67,234人
1931年(昭和6)小作争議 3,419件
1935年(昭和10)小作争議 6,824件
小作・農民組合側は「小作料3割減額の実現」を主要闘争目標としていた。対して地主側は時には官権力の力も借りて、生育中の農地の稲を差し押さえる「立毛差押え」や土地立ち入り禁止で抵抗した。
話を現代に戻すと、小作争議は今日では皆無。労働争議も1974年の5,200件をピークとし、その後急激に減少。2010年では僅かに38件(半日以上のスト争議換算)。もし終戦直後、須永好らが尽力した農地改革が進んでいなければ、労働運動と農民運動の「労農連携」によって日本の社会は別な方向を歩んだかもしれない。
茂呂村争議は不戦勝ち
こんな逸話があります。郷里の茂呂村(現伊勢崎市)の小作争議を指導した菊池重作氏の証言。「それは私が初めて経験する争議でした。私は強戸村に須永好を訪ねて指導を受け応援を求めました。須永好が私達の茂呂村に姿を現すと、たちまち地主はこれまでの頑固な態度を一変して、小作側の要求をそのまま受け入れました。私達の勝利によって争議は解決したのです」
相撲でたとえれば、相手力士が土俵に上らず不戦勝ちの結果。それだけ須永好の存在感は世間に知れ渡っていたといえる。
参考書籍:『小作争議の時代』渡邊正男編著 みくに書房(1982)
小作人世代から高度成長期の団塊の世代の苦労のおかげ様でしょうか。
若者たちの働く環境は厳しいのに、労働組合の存在や労働法について関心の薄い人がまだ多いですね。職場に組合がなくても個人で加盟できるユニオン(組合)もあります。一人では雇用主に意見を言えなくとも団体交渉をしてくれます。大いに活用されると良いですね。
旧社会党(社民党)が農地解放には熱心で頑張りました。しかし小作農民たちの多くは、土地を得た後は保守化し、長く自民党の支持層になってしまいました。社会党にとってはまことに皮肉な結果です。労農提携で大きな力になることもなく。
これらの業績は団塊世代のもう一つ前の80歳以上で革新的だった方たちの尽力によるものと思います
データーのバックアップの大切さを感じています。ただもう一度小作争議、労働争議について考える機会にはなりました。
戦後の労働争議では1975年の公務員の「スト権スト」が大きなヤマでしたね。2011年の組合組織労働者数は996万人、組織率18.4%、果たしてこの状態を是といえるものなのでしょうか。