ポポロ通信舎

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中島飛行機・小山悌技術長の物語

2017年11月03日 | 研究・書籍

新刊『銀翼のアルチザン』読んでみました。

久しぶりに電子書籍キンドルを使いゆっくりとしたペースでの読了です。

著者は、地元太田市出身の新鋭の作家、長島芳昭さん。

主人公の小山悌(こやまやすし)は1902年仙台生まれ、東北帝大機械科の出身。海軍少佐で退役した叔父が中島知久平と海軍同期であったのが縁で中島飛行機(群馬県太田市)に入社。

「これからの時代は軍艦でなく戦闘機」、「大型の爆撃機は戦争が終わったら旅客機と輸送機になって役立つ」など先見性に富みスケールの大きな中島知久平に魅せられ小山悌は研究開発に明け暮れる。。

物語の中で西崎(旧姓松本)キクが登場する=写真。日本で女性初の飛行機操縦士として名前だけは知っていたので興味深く読んだ。太田市からも近い埼玉県上里生まれの勇敢な女性だったようだ。

開戦の翌年4月にはB25(ノースアメリカン社製)16機による本土空襲があり小山たちは青ざめたという。日本の戦況が悪化していたのは、小山たちエリート技術陣は、中立国スイスの情報誌などから事態の真相を得ていた。やがてボーイング社製のB29の出現・・。

敗戦後、小山はその卓越した技術力を買われ航空機開発プロジェクトに誘われた。しかし「われわれが設計した飛行機で亡くなった方もたくさんあることを思うと・・。小山悌という男は戦争で負けたんだ。技術屋として負けたんだ。参加しないことは職人のけじめだ」と固辞した。中島知久平からの自動車事業への提案も断った。

小山の開発した戦闘機「疾風(はやて)」は当時としては最高速の優れた飛行性能を持ち米国側からも驚異をもって評価された。しかし彼の戦後に選んだ人生は、異分野の農林業だった。林業技術士の資格を取り62歳で農学博士になっている。

題名のアルチザンはフランス語の語源で「工匠、職人」の意味。まさに小山悌にふさわしい形容。地元民としては知っておきたいおススメの一冊です。

 

 

銀翼のアルチザン 中島飛行機技師長・小山悌物語
長島芳昭(太田市出身)著
KADOKAWA

 

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