私の感動したスナップの1枚です。
1945(昭和20)年8月。長崎原爆投下の被爆地で、10歳くらいの少年が、背中に弟か妹を背負って、臨時の特設火葬場に現れた。原爆でやられたのかもしれない。亡くなった弟(妹)の死体を荼毘(だび)に付してもらうために順番を待っていたのだ。戦時中、学校教育の教練で習った通りの直立不動の姿勢で。レンズを向けたのは、米海兵隊カメラマンのショー・オダネル軍曹。
ショー・オダネル軍曹の話「少年は重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたと感じられた。しかも裸足。焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたまま。少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか。(火葬場の)白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊を受け取り、焼き場の熱い灰の上に横たえた。まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいた。あまりキツくかみ締めているため下唇に赤くにじんでいました。夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…」
ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと三度(みたび)核に見舞われた私たち被爆国民。この少年の悲しみを十分教訓にしきれていなかったことが、今また悔やまれます。
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