東日本大震災の惨状を前にして、信頼していた文明がなぜにこうももろく崩れ去ってしまうものなのか。。
早い時期から文明の未来は、必ずしも明るいものではないと予言した人物がいた。それが梅棹忠夫(1920-2010)=写真。NHK ETV特集で、文明学者、民俗学者の梅棹忠夫が紹介された。
生前「原発や放射能はあきまへんな。(核の)ゴミ問題が解決できない」と言い、電力会社幹部との対談でも、安全性に絶大な自信を持つ相手に梅棹は「民俗学の立場からは、ヒトというのは何をするかわからん生き物。安全も時として裏切ることが起きる」と、語っていた。
知的好奇心、科学への探究心は人間の業(ごう)。それは欲望のようにコントロールが効かない。それだけにコントロールをしなければならない。「理性VS英知」としてとらえると、理性的なものとしては、官僚機構、企業、制度と装置などいわゆるプロ(職業)。対して英知的なものは、震災地でのボランティア活動にみられるような非営利的な情念、市民、アマチュアの力。暗黒の彼方に光明を見出すとしたらそれは、アマチュア思想家たちによる英知・・
私が梅棹忠夫を知ったのは、1995年ごろパソコン通信「ニフティサーブ」の「知的生産の技術」フォーラムに参加したことがきっかけ。同フォーラムのシスオペ(管理人)が、同じ会社仲間だったこともあり、その中で氏の著書やIT道具の選定、能率的な整理などに触れた。
梅棹忠夫は先の大戦で廃墟になった戦災地を見て、「これでしがらみがとれた。これから日本は発展する」と楽観的だったという。おそらく今の日本の状況を知って氏は科学も政治もプロ(理性)にまかせるのでなく、非営利的なアマチュア=市民的なもの(英知)に期待を寄せられるのではないだろうか。そのような気がしてならない。
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