ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

N工場は中島小泉製作所

2012年05月30日 | 研究・書籍

 

仮面の告白 (新潮文庫)
三島由紀夫著
新潮社

『仮面の告白』(三島由紀夫著)を読んでみた。

当広場では2011年10月30日(中島飛行機と学徒動員)の中で本書に多少ふれましたが、改めて『仮面の告白』のN飛行機工場の一節を取り上げてみたい。斜め文字部分、小説引用。

戦争の最後の年が来て私は21歳になった。新年早々われわれの大学はM市近傍のN飛行機工場へ動員された。8割の学生は工員になり、あとの2割、虚弱な学生は事務に携わった。私は後者であった。それでいて去年の検査で第二乙種合格を渡されていた私は今日明日にも令状の来る心配があった。

戦後、武闘派に転じた主人公からは想像しにくいが、学生時代の兵隊検査では乙種合格。当時の理想は「甲種合格でくじ逃れ」だった。徴兵は当初くじで決められたことによる。乙種には彼なりの複雑な苦悩があったと思う。「N飛行機工場」は、まさしく中島飛行機小泉製作所(現在地:三洋電機東京製作所=大泉町)だ。

この大工場は資金の回収を考えない神秘的な生産費の上にうちたてられ、巨大な虚無へ捧げられていた。・・すなわち「死」へささげられているのであった。特攻隊用の零式戦闘機の生産に向けられたこの大工場は、それ自身鳴動し・唸り・泣き叫び・怒号している一つの暗い宗教のように思われた。・・重役どもが私服を肥やしているところまで宗教的だった。

戦争=国策に総動員された巨大な軍需工場を前に、主人公三島はきわめて懐疑的であり、おののいているかのようにも受け取れる。まるで反戦作家のようにさえ感じられる描写。

時あって空襲警報のサイレンがこの邪な宗教の黒ミサの時刻を告げしらせた。事務室は色めいて「情報はどうだんべえ」と田舎訛りを丸出しにした。

東京生まれ学習院出身の主人公にはさぞかし上州弁に違和感があったことだろう(笑)

1970年(昭和45年)11月25日、東京市ヶ谷の自衛隊総監部を襲い檄を飛ばし割腹自殺をした三島由紀夫は享年45歳。この衝撃的なニュースを耳にした時、私は彼の行動、その動機がよく理解できず、なぜか焦っていた。ただ混沌とした世相を案ずる「憂国の士」の心情には大いに感ずるところがあった。その頃、性的マイノリティについても十分な知識を持ち合わせておらず、三島文学はその点でも入口のところで止まってしまっていた・・。

あれから40余年・・。今は、70年当時よりも三島由紀夫を、三島文学を身近に感じることができるようになった。戦争と同じように原発も国策。もし三島由紀夫が現下の原発震災による祖国日本の自然や山河が破壊されていく惨状を目にしたらどのように憂い、またこの世の巨大な虚無の「仮面」をいかに表現したことだろうか・・。

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