ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

ネットは社会を分断するか?

2019年12月16日 | 研究・書籍
今年10月発売の角川新書『ネットは社会を分断しない』を読んでみました。
インターネットの草創期、ネットの出現で政治は良くなるかもしれないとの期待がありましたね。1990年代です。

ネットを通じて情報が活発に交流され、多くの人の知識が豊富になり誤解していたものが次々に溶けて良い社会になるのではないかと思われた。しかし、そうはいかなかった。リアルな社会と変わらないそこも荒れ果てた世界であったのでは。

「ネトウヨ」「パヨク」と互いに中傷の応酬が激しく過激になっている。ただ単に極端な意見が飛び交うだけでお互いを理解し合おうという民主主義の理想とはかけ離れたものになっているかのようだ。

しかし本書の著者たちは、10万人規模のデーターをもとに過激な書き込みを行っているのは誰なのか、ネット上の議論を息苦しくしているのは何なのか計量分析で迫った。本の帯に書かれている文から引用しますと「過激化しているのは、ネットを使わないはずの高齢者」「ネットの投稿の約半数は、0.23%の人が書き込んでいる」「接する論客の約4割は、自分と反対の政治傾向の人」とある。

ネットの活発な投稿者は1%未満

たとえば政治問題についての議論が交わされている場合、書き込みをしている人は多く存在しているように見えても実際はほんのわずか。過去に一度も書き込みをしない人が90%以上なのだ。過去1年に一度だけ書き込んだ人が2%、それ以外は1%にも満たない。「ヘビーライター」と呼ばれるほんの一握りの同一人物が何回も頻繁に投稿しているに過ぎないのですがトータルの書き込み回数の数字だけは上がる。「炎上」なども書き込んでいる人は特定の人物が多く、中間的で穏健な意見の人々は発言をためらうようになってしまう、それを「委縮効果」という。

しかし本書の著者は、社会は分断しない!むしろ相互理解が深まる、と前向きです。私もそうなるように願いたいと思う反面、あまりにも荒れた政治世相、左右の不毛な議論を前に、すっかり萎縮しきってしまった自分を見ております。

【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔



 
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