さか上りができない、徒競走はいつもビリなど、小さな胸を痛めている子どもは大勢います。体育ぎらいが高じて学校ぎらいになってしまう子さえいます。体育の本来の目的は何なのか、点数で評価できるものだろうか等の疑問に答えながら、体育の苦手な子を中心とした授業の実際を紹介し、どの子も生き生きと取り組める指導のあり方を考える書。
1983年の発行当時、宮城教育大学教授だった中森孜郎氏の『体育ぎらいの子』。この本は、なぜかタイトルの割には印象が薄く 積読(つんどく:購入して未読)の部類でした。同じ頃の書『女の子はつくられる』(佐藤洋子著 白石書店)の方はしっかり熟読した記憶があります。
長く本箱で眠っていた本書を今回じっくり読み直しました。
もともと、子どもは体育が好き。体育ぎらいの子が増加するのは学年が進むにつれて。それは、思うように動作ができなかったり結果が出せず他人の目を意識し劣等感、恐怖心、屈辱感に苦しむからだ。ビリでゴールするくやしさ、跳び箱の前で立ち止まってしまった無念さ・・。
「勝敗主義」「記録主義」が顕著になりがちな体育ですが、このことは体育に限らず「勉強ぎらい」にも通ずるものがあるようにも。前述の『女の子はつくられる』とも共通しているな、とも感じました。
「評価」の問題はむずかいしい。いっそうのことテストの点を廃止すれば、すべて解決するでしょうか。習得度、理解力の尺度として数値化することは、それ自体は悪いこととはいえないでしょう。もちろん頻繁なテスト漬けで子どもたちを序列化してしまうことは良くないとは思います。
むずかしいですね。「古くて新しい問題」を本書は提起しています。その内容はまったく今日的にも通用するものでした。特に体育の先生にはぜひ読んでいただきたい良い本でした。
【木工さんの写真】矢嶋秀一作 フォト 田口大輔
子どもと教育を考える 体育ぎらいの子 | |
中森孜郎 著 | |
岩波書店 |
TOP OF THE WORLD / 西田ひかる