ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

三洋電機、西小泉駅かいわい

2015年02月04日 | 研究・書籍

『会社が消えた日』
全部読んでみました。

「会社は消えても人生は終わらない。心ならず三洋電機を去った敗れざる人々の物語からそれを感じとってもらえば幸いだ」の著者の気持ちはよく表れています。

三洋、パナソニック、住友、経産省・・それぞれの大きな思惑の中でのSANYO消滅であったことがわかります。

地元民として補足しておきたい箇所がありました。本筋ではなく細かいことですが。

(1)大泉町の三洋電機を「旧三洋電機東京製作所」というのはまだ早い。企業法人格は消えていません。
(2)著者が訪れた時、「西小泉駅前はすっかりさびれ」とありますが、もともと駅前は殺風景でさびれたように見えるのは今に始まったことではありません。三洋電機が全盛だった70年代~90年代も駅前の風景は今となんら変わってはいません。
(3)「(西小泉駅から)引き込み線で、作った冷蔵庫を鉄道コンンテナでバンバン運んでいた」の証言は不正確。

これは戦時中の中島飛行機時代に敷かれた鉄道線路で、三洋時代に製品輸送で盛んに使ったなどとは聞いたことがありません。無用の長物であったことから東武鉄道は廃線にし、三洋は線路跡地を町に寄付、今は美しい緑道となっています。

貨物専門駅、新小泉駅

私が中学1年生の時、最初に大泉町仙石の農家に下宿しましたがその折り、以前住んでいた前橋の祖母宅に置き去りしてきた自転車を回送してもらいました。荷物到着の知らせを受け新小泉駅(今の町体育館付近)に取りに行く。貨車の荷物台の上に横に置かれた愛用のクリーム色の軽快自転車を見た時、まるで旧友に逢えたような感じだったのを覚えています。こんな使われ方もありましたが、引き込み線自体は軍用目的で熊谷駅まで結ぶ計画だったものが終戦でとん挫してしまったものにすぎません。三洋電機の栄枯盛衰には関係のない話です。

旧三洋社員の声が・・

細かいところはともかく、全体によくまとめられた本だと思う。
経営学で学ぶ「所有と経営の分離」が出てきました。創業家が資本家に納まらず経営者を演じつづけた、とも。会社を去った社員たちの、それぞれの生き方、奮闘には涙を誘われるものがありました。中でもハイアールに転籍した人たちがCMにキョンキョンを起用したエピソードでは目頭が熱くなってしまいました・・キョンキョンのメッセージが転職した旧三洋社員のつぶやきに聞こえます。

 

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから
 大西康之 著
日経BP社

小泉今日子 ハイアール アクア CM 「スタート」篇

コメント
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