ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

力士に“選手会”を

2011年02月07日 | スポーツ・健康

「大相撲史上、最大の汚点」の見出しで騒がれる八百長問題。私はこの問題は、これまで公然の秘密であったことが明るみになっただけで、今に始まったことではないと受け止めています。


小学生のころ、相撲通の公務員のお兄さんから「八百長はあるんだよ。7勝7敗で千秋楽を迎えた力士は、勝ち越さないとたいへんだからね」と聞かされていました。その方法は今のようにメールが介在するのでなく「使いのものが対戦相手の部屋にこっそり行ってお願いするんだ」とも。子ども心に、負け越したら給金に響くのではやむを得ないな、と思っていました。その通の兄は「余裕のある方が、追い詰められている方を助けてやるのさ」と付け加えていました。

毎日新聞の「余録」が、詳しかった。『ヤバい経済学』の著書で、米国シカゴ大学のS・レビット教授が3万組のデーターを基に、7勝7敗の力士は、8勝7敗力士との対戦結果では8割が勝つと立証。そして余録子は、「異国の学者に舞台裏を見透かされた国技が情けない」と結んでいた。

私は、八百長の根は番付万能の相撲界で、待遇面での差があまりに激しいことにあるように思います。今度の件で改めて知ったのですが、十両と幕下以下の給与・手当ての雲泥の格差、十両は年収1千万円級、かたや幕下15万円~序の口7万円が2カ月に一度の手当て、これではワーキングプア中のプア。「すべて修行だから」と言っていた親方関係者がいたが、こんな状態では、これから角界入りする若者は減る一方だろう。

「八百長」はそれぞれの力士たちの処遇面を制度的にきちんとすれば、改善できるものと思う。相撲協会の公益性を度外視してあえて言えば、相撲はスポーツであってもショー的要素がある限り、八百長は必ずしも責められないようにも。
それよりも、八百長は人命に直接係わりはないが、シゴキ、暴力事件を忘れずに重大視したい。

力士死亡は90年以降、以下の通り。

1990年 近村(19歳) 九重部屋 序二段 急性心不全
1992年 大威力(18歳)朝日山  序二段 心不全
1992年 琴千場(24歳)佐渡ヶ嶽 三段目 急性心不全
1992年 魁士(15歳) 放駒  序の口 心筋梗塞
1996年 若藤光(25歳)宮城野  三段目 心不全
2007年 時太山(17歳) 時津風  序の口 リンチ殺人

息子の力士(時太山)からの悲鳴の電話に、まだ頑張れ!と言って励ました故郷の父の無念=写真。
ビール瓶で殴られ、金属バットでしごかれ死亡した若い力士のお父さんのくやしさは忘れられません。

ここまで来たら今や、力士にプロ野球界並の互助組織“選手会”が必要ではないでしょうか。八百長も善意に解釈すれば力士間の一種“互助”の気持ちからの行為。力士会を結成し、力士たちが前面に出られなければ、代理人(労務士、弁護士等)に託して協会、部屋親方と交渉し、力士たちの日ごろの要望を示し是正して行くことが、これからの相撲界の発展につながるように思います。

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