ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

第二国語にエスペラントを

2015年12月09日 | エスペラント

北一輝は『日本改造法案大綱』のなかでエスペラント語を学校教育で第二国語(第一外国語)に、と記しています。
1960年代、日本社会党は政権構想の具体的政策の一つとして義務教育でのエスペラント語の実施を掲げていました。残念ながら今の日本の政党の中でエスぺラントに触れた政策は見たことがありません。

宮沢賢治も自訳のエスペラント詩集があります。YouTubeの動画では、東北、仙台の白百合学園小学校の生徒たちが、賢治の心を継承しているかのように歌っているのには驚きました。

川崎市の桐光学園小学校の合同授業「世界に響け、平和の願い」にも感激しました。きっと悲劇の革命家、北一輝も草葉の陰でにんまりされているのではないでしょうか。

群馬県内では、戦後1949年に看護婦さんの卵たち(前橋医専厚生女学部=現群馬大医学部保健学科)にエスペラントの授業が行われた記録があります。

 

武器では地球を救えない―エスペラント語をつくったザメンホフの物語
和田 登(信州大講師)著
文溪堂

 

世界に響け 平和の願い(エスペラントで歌う小学生)

 

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エスペラント/緑の星の理想

2015年12月06日 | エスペラント

世の中、何事も理想通りには行きません。
現実は矛盾に満ちていて険しい・・

だからといって理想を軽く見て、捨て去っては世の中は良くなりません。
この矛盾に満ちた現実を一つひとつ理想に近づける努力、これが大切ですね。

エスペラント語も「理想」です。なかなか普及しません。
文法は簡単とはいえ漢字圏の日本人にはとっつきにくい。


≪緑星旗(りょくせいき)のもとの祈り≫ ザメンホフ:詩
あなたは人類を完全に美しく創られた
しかし人類は戦いの中に分裂した
人民は人民を残酷に攻撃し
兄弟は兄弟をジャカルのように攻撃す


エスペラントの旗は緑の星です。
わが家のぐんまちゃんがそのバッチを付けています=写真
こんなエピソードがあります。

あるヨーロッパの地上戦でエスペランチストの兵士が傷ついた敵兵を抱き起こしたら、なんと彼の胸にも緑の星が・・「君もエスペンランチストか!」2人は敵味方を忘れて友情を感じた・・

 

武器では地球を救えない―エスペラント語をつくったザメンホフの物語
和田 登(信州大講師)著
文溪堂

Radio �・erizo Eduka - さくら教育放送 第1回【エスペラント】

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武器では地球を救えない

2015年12月04日 | エスペラント

今朝の新聞一面、「英、シリア領空爆 IS掃討、下院可決受け」・・
軍事・紛争の記事は必ず地球上では発生していて絶えることがありません。ため息が出ますが現実は、武力VS武力。

しかし武力では地球は救えないとして、言語に着目し民族相互の理解を国際共通語エスペラントで深めようとしやさしい新言語を作った人がザメンホフ博士です。

当広場の「ポポロ」もエスペラント語です。popoloは、国統治者に対して「国民」「人々」の意味です。私が高校生の頃、日立のテープレコーダーに「ベルソーナ」というネーミングがありました。belsona 、エスペラントで 「美しい音の」、同級生が愛用していました。ちなみに私が使っていた三洋のテレコは、ivy younger 「アイビーヤンガー」 こてこての米語(笑)

エスペラント Eaperanto の元々の意味(原義)は「希望の人」。

久しぶりにエスペラント関係の本、ザメンホフ物語、『武器では地球は救えない』を読みました。

自分の国の人同士は自国語で話し、他の民族や国家の人と話すときは国際語を使う・・。一つの民族語を持ってそれを国際語(世界語)とはしない。平等と平和の精神で共通言語を普及しようという試みです。

エスペラントの世界共通、相互理解の精神は今も支持しています。 

ザメンホフ1859-1917 ポーランドの眼科医、世界語エスペラントの創始者。異民族の反目の原因が言語の違いにあることを感じエスペラントを考案、1887年に公表、普及に努めた。

 

武器では地球を救えない―エスペラント語をつくったザメンホフの物語
和田 登(信州大講師)著
文溪堂

 

国際語エスペラントって何だろう?

 

コメント (4)
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「集団的自衛権」焼身男性の場合は

2014年07月11日 | エスペラント

集団的自衛権の行使容認が閣議決定される直前の日に、抗議の焼身自殺未遂がありました。
さいたま市に住む63歳の男性が、新宿駅南口で拡声器を使って事前に演説。「70年間平和だった日本が本当に好きでした。集団的自衛権で日本がダメになる・・」そして与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」の歌を朗読し事に及んだという。(東京新聞7/8記事参照)

私はこのニュースを知り、はるか昔の2つの事件を思い出しました。
一つはエスぺランチスト(エスペラント語愛好家)の由比忠之進さん(73歳)のべトナム戦争への抗議。焼身自殺したのは、アメリカの北ベトナム爆撃を支持した佐藤栄作首相が訪米するのをきっかけに。由比さんのお顔は当時の私の日記(1967.11.15)に貼ってあった新聞写真から。

もう一つは、これもベトナム戦争に悲観し焼身自殺したフランスの少女フランシーヌ。これは『フランシーヌの場合』として彼女を描いた曲がヒットしましたね。

なお、集団自衛権抗議の焼身自殺報道については、あまりにもNHKを始め日本のメディアが報じなかった怠慢を在ベルリンジャーナリスト・梶村太一郎さんが自身のブログで詳しく述べています。ぜひご覧ください。 『明日うらしま』梶村太一郎の反核覚え書き』

 

フランシーヌの場合ー新谷のり子

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「群馬のエスペラント運動1906-2010」

2010年12月21日 | エスペラント

「群馬のエスペラント運動1906-2010」誌が今月発行されました。
ホリゾント出版 500円。

ポーランドの眼科医ザメンホフの創案した人工の国際語エスペラント。Esperantoは「希望する人」の意味。「言葉の違いが民族間の意思疎通を妨げ争いの原因だ」とするザメンホフ博士によって1887年に公表。わが国では1906年(明治39)に日本エスペラント協会が設立。協会発足時の群馬県の会員は、群馬師範学校の人たちなど9人。

私がエスペラントを初めて知ったのは、高校の世界史の教科書です。欄外に小さく国際共通語「エスペラント」がある、という一行を見落としませんでした。その後、子供たちが高校生になった時、世界史の教科書を見せてもらいましたが、残念ながらどこにもエスペラントのことは触れられていません。子供たちにエスペラントを問うても「知らない、習っていない」とのことです。

1960年代後半の日本社会党の政権構想案、今までいう"マニフェスト"では、義務教育の中でのエスペラント教育実施が挙げられていました。夢のような話だなと思っていましたが、実際、正課として採用された例が、身近な群馬に在ったことを、今回発行の「群馬の運動史」の中で知り驚きました。

1949年(昭和24)、前橋医学専門学校(現、群馬大学医学部)の大学病院附属厚生女学部(現、医学部保健学科)で、外国語としてエスペラントの授業が行われた歴史がありました。なぜ、エスぺラントを学ぶのか、「学生たちの興味を喚起するのに苦労した」と記されています。

当ブログ「ポポロ」はエス語(エスペラント)のpopolo(人びと)です。
なお、本書の中、1987年の項に私の氏名が載っています(笑)

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世界共通語エスペラント

2008年11月17日 | エスペラント

「世界共通語を普及させよう」と前橋の井上政夫さんの投稿が、きょうの上毛新聞ひろば欄に掲載されていました。
「英語重視の理由は・・アメリカが世界トップの座であるからなのか。共通語で書かれた本があれば語学の負担は減る。国際会議にも活用できる・・」という趣旨。
まったく同感です。私が最初に「英語が国際語」ということに疑問を感じたのは学校で英語を教わり始めた中学生の頃。英語は国際共通語だから覚えよ、という指導に納得できなかったらです。それなら英語圏で生まれた人は生まれながらに国際人、それ以外の人は英語ができて一人前の国際人、これってなんか不平等だ、と思いました。

中学の社会科教科書に、小さく一行「世界共通語としてエスペラントがある」と書かれていたのをはっきり覚えています。これだ!と思いました。
これまで子どもたちの教科書を注意して見ていましたが、今ではエスペラントにはどこにも触れていないようです。
英語を学ぶのは大切です。ただそれは外国語として理解し学ぶのであって一つの言語を世界語とまで断定することには、今も疑問を感じています。

1960年代、日本社会党は政権構想の政策の中で、義務教育でのエスペラント語の実施を掲げていました。
エスペラント者(Esperantisto)といいますと、2.26事件で連座して処刑された北一輝。無政府主義者の大杉栄、ベトナム戦争に抗議して焼身自殺を図った由比新之進さんらが思い浮かびます。

本ブログ、ポポロの広場のポポロ=popoloはエスペラントで「人々」の意味です。
単語の最後が「o」で終わるものはすべて名詞。「a」が形容詞、と規則正しく決められています。ただ創始者がポーランドの眼科医ザメンホフ氏であっただけにベースは漢字圏ではなく横文字アルファベット圏ではありますが。皆が同じ努力をして学ぶというのは意義あることではないでしょうか。

普仏戦争で、負傷した敵の兵士に近づき抱き上げると彼がエスペラントを話し、互いに敵味方を忘れ、友情を感じ合ったというエピソードも聞きました。
言葉の壁を乗り越えられれば、さらに人類の相互理解は進むと信じます

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「ポポロの広場」オープン!

2006年06月23日 | エスペラント

2006年6月23日。ブログ「ポポロ広場」を開園します($^^)/~~~。

当初は、1988年2月10日に発刊した「ポポロ通信」のWeb版としての再出発を
考えていましたが、ここGooのBlog群には、すでに同名の「ポポロ通信」と
いうサイトがあることがわかりました。Blog上では当方のが後発になります
ので、混乱を避け、双方性をも期待して「ポポロの広場」といたしました。

以下は、18年前、紙媒体(B4サイズ)の「ポポロ通信」第1号の拙文です。
今、読み直しスピリットは、このときといささかも変わっていないことを
改めて再認識しました。参考までに掲載し、本広場スタートの挨拶に代え
させていただきます。奇しくも「広場」という言葉も出ていました。

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≪ポポロ通信発刊のことば 1988.2.10≫
みなさん お元気ですか。
80年代も終盤となりました。世相は繁栄と飽食の中ですべてが一見
「順調」のように見えますが、本質的に果たして好転しているので
しょうか。現象形態は確かに刻一刻と激変してはいるのは明らかで
はありますが・・
「自由」ひとつを取ってみても本当に「自由」が保障されているで
しょうか。建て前の「自由」は、限られた許容範囲での「自由」で
しかありません。
新聞の投稿欄は比較的人々の本音が出ていますが“社論”の制約が
徐々に強くなり、正義の良い主張がボツになる傾向が表れています。
「ポポロ通信」は超ミニコミではありますが、右も左も、上も下も、
軟も硬も、すべてを包含した自由な発言を認め合う「広場」にした
いと思います。
ポポロは国際語エスペラントで「人々」の意味です。
松田聖子のファンクラブは3万人。ヤングアイドルのファンクラブは
少ないところでも数千人はいるといいます。
60年代、70年代とマジメな人たちはコチコチになりすぎていました。
「気分はファンクラブ」!
肩の力を抜き、長距離を走るイージーライダーの調子で行こう・・(以下略)

コメント (1)
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