ポポロ通信舎

(旧・ポポロの広場)姿勢は低く、理想は高く。真理は常に少数から・・

「群馬のエスペラント運動1906-2010」

2010年12月21日 | エスペラント

「群馬のエスペラント運動1906-2010」誌が今月発行されました。
ホリゾント出版 500円。

ポーランドの眼科医ザメンホフの創案した人工の国際語エスペラント。Esperantoは「希望する人」の意味。「言葉の違いが民族間の意思疎通を妨げ争いの原因だ」とするザメンホフ博士によって1887年に公表。わが国では1906年(明治39)に日本エスペラント協会が設立。協会発足時の群馬県の会員は、群馬師範学校の人たちなど9人。

私がエスペラントを初めて知ったのは、高校の世界史の教科書です。欄外に小さく国際共通語「エスペラント」がある、という一行を見落としませんでした。その後、子供たちが高校生になった時、世界史の教科書を見せてもらいましたが、残念ながらどこにもエスペラントのことは触れられていません。子供たちにエスペラントを問うても「知らない、習っていない」とのことです。

1960年代後半の日本社会党の政権構想案、今までいう"マニフェスト"では、義務教育の中でのエスペラント教育実施が挙げられていました。夢のような話だなと思っていましたが、実際、正課として採用された例が、身近な群馬に在ったことを、今回発行の「群馬の運動史」の中で知り驚きました。

1949年(昭和24)、前橋医学専門学校(現、群馬大学医学部)の大学病院附属厚生女学部(現、医学部保健学科)で、外国語としてエスペラントの授業が行われた歴史がありました。なぜ、エスぺラントを学ぶのか、「学生たちの興味を喚起するのに苦労した」と記されています。

当ブログ「ポポロ」はエス語(エスペラント)のpopolo(人びと)です。
なお、本書の中、1987年の項に私の氏名が載っています(笑)

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