Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

竜飛海底駅 見学会 9月2日 2013年-09

2014-04-17 | Weblog






2014年4月17日の日経新聞の紙面には、東京→新函館間を4時間10分で運行する「北海道新幹線」の記事が掲載されていました。

2013年9月の青函トンネルの見学会の記事を2014年4月に書いていた時でもあり、タイムリーな印象を受けます。

また、世界最長の鉄道レール …という記事も同紙に掲載されています。

この“スーパー・ロングレール”も、新幹線の敷設に活用されるのでしょうね。

NHKの「プロジェクトⅩ」という番組のタイトル中、2000年に放送された「青函トンネル 友の死を越えて」というのがありました。

まさに青函トンネルを掘る現場の技術者の方々のストーリーです。

青函トンネルは昭和36年(プロジェクトⅩ中では、昭和39年と解説されていますが、これは調査・準備期間を含めるかどうかで3年間の差異が生じるのでしょう)に10年間の工期で着工されました。(実際に完成するまでにはその倍以上、27年間(プロジェクトⅩ中では24年間)の工期を費やしました。

最初は、北海道側から工事が開始され、2年後の昭和41年3月には青森側の竜飛基地からも工事がスタートし北海道を目指しました。

この海底トンネル計画には、後に「洞爺丸台風」と命名される台風15号による「洞爺丸」をはじめ5隻の船舶の沈没により1400人を超える犠牲者を出した海難事故の背景があります。

本州と北海道を結び安定した物流、安全な旅客輸送を確保する…道民にとっても当時の国鉄にとってもそれは一つの悲願でありました。
(今時の人には信じられないかも知れませんが昭和20~30年代、津軽海峡で隔てられた北海道は総所得において全国平均以下であったそうです)

世界のどこにも前例のない海底を53Kmも掘り進むこの計画の前に次々と大自然の壁が立ちはだかります。

その度に“トンネル・マン”の男達は新しい技術と「世界一のトンネルを掘る」という誇りと闘志とでハードルを越えていきます。
そうした闘いの中で24年間の工期中、34名という尊い犠牲を払うこととなります。


トンネルを掘る技術者は「土木屋」「機械屋」「電気屋」という専門集団に分かれるそうです。
プロジェクトⅩでは、その中の「土木屋」の“総合令”(技術者全員を束ねる、総監督みたいな役職です)「大谷 豊二」さんにスポットを当てます。

この大谷さんが竜飛の現場にご家族と共に着任されたのが30代です。
そして、24年後のトンネル完成時には50代になられていました。

北海道側と青森側から掘り進んだそれぞれのトンネルが、津軽海峡の海の下、最後の発破で一つに繋がり風が吹き抜ける…
大谷さんは殉職された仲間の遺影を抱き「ここが約束の地、北海道だぞ」と語りかけます。

「地図に残る仕事」などという表現を見かけることがありますが、青函トンネルのプロジェクトに携わった、大谷さんを始め多くのトンネルマンの顔は、まさに「道を拓く」という仕事に人生の大半を捧げた、本当に男の中の男の生き様、顔つきとはこのようなものか…と、感動しました。

見学会では、海底駅の「海面下140m」という表示が多数見られたことから、青函トンネルの深度がそれなのかと錯覚しますが、青函トンネルの最深部は海面下240mだそうです。

いま竜飛海底駅はその役目を全うし、北海道新幹線という新しい時代へと生まれ変わります。
見学会という本来の目的とは異なる運用によって、多くの人々にその存在と全容が紹介されましたが、これこそまさに「平和利用」というか、深刻な事態が起こらなかった何よりの事象だと思います。

竜飛海底駅は2014年3月14日を持って廃止されましたが、青函トンネルはこれからも、旅客・物流の輸送を北海道新幹線の開通と共に、次の新しい時代へと担って行きます。

その根底を支えるのは、先のトンネルマンの方々の生涯を捧げた青函トンネル・プロジェクトの成功であり、その後のスーパーロングレールや鉄道技術の粋を集めた最新の新幹線車両の開発、そして表舞台ではスポット・ライトを浴びることのない保守や保線の方々の地味だけれど欠かすことの出来ない努力…そうした大勢の方々の力に支えられていることを実感いたしました。

青函トンネル営業開始前の試運転の車両に、トンネル工事で殉職された遺族の方々が招待され、「お父さん、またはご主人」が携わった偉大なプロジェクトを噛み締められておりました。

「地図に残る仕事」とは、物理的な事象だけではなく、こうして「人の心に残る仕事」でもあるのだと実感しまた感動いたしました。



「竜飛海底駅見学会」は、2013年の北海道旅行の一つの目玉であり、実に素晴らしく有意義なものでした。
こうして参加できたことをとても嬉しく思います。

9月2日の記事を書くのに約1ヶ月を要してしまいました。
このペースで昨年の記事を書いていたら、今年の北海道旅行がスタートしてしまいます。

もう少し、キーボードを叩くピッチを上げていかないと間に合いませんね。




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