
日曜日の午前中です。
新宿にも道路元標が保存されているということで、出掛けてきました。
国道901号 道路元標が行く さんのサイト資料によりますと、この道路元標の所在地は「淀橋町 柏木85」と記述されていました。

現在の住所は「新宿区西新宿八丁目」
新宿駅より徒歩で約10分ほどの距離になります。
なお、「国道901号 道路元標が行く」さんのサイトには「現在位置地図表示」で詳細な位置情報を参照することも出来ます。
モダンなデザインの高層ビルが立ち並ぶ風景。
この付近は「新宿副都心」とも呼ばれ、かつて「淀橋浄水場」という広大な施設があった跡地を再開発したエリアです。
「淀橋町 道路元標」の名称がそれを示すように、この地域は「淀橋」という地名でした。
お馴染み「ヨドバシカメラ」もその創業地である新宿区淀橋を社名(㈱淀橋写真商会時)に冠しているのではないでしょうか。
このような凄まじい開発ラッシュの跡地に大正時代の道路元標が果たして生き延びているのでしょうか?
半信半疑の期待を持ってその所在地を目指して歩きます。
東京都内の移動は公共交通機関による移動が最も効率的なので、今回オデ君は自宅で留守番です。

綺麗なモザイクの歩道の片隅に「淀橋町 道路元標」はありました。
非常に親切な位置情報を提供されていながら、実は100メートルほど「スルー」してしまいました。
その目標物を探しながら歩いているというのに見逃してしまう…それほど目立たない存在ということです。
近くには沢山の高層ビルが立ち並びそこに働く大勢のビジネスマンが歩く歩道ではありますが、この「淀橋町 道路元標」に気が付くのは極少数だと思います。

この歩道は比較的近年整備が行われたものだと思います。
まるで「花壇」の一部のようになってしまいましたが、それでもこうしてその存在を明らかにしています。
本来あるべき部分が欠損してこのような姿をしています。
どのような理由でかは解りません。
破断面は長い年月の風雪によりすっかり滑らかな表面となっています。
北海道で見てきた道路元標と違う点があります。
まず石材です。
北海道のそれはコンクリート製でザラザラ感のあるものでした。
「淀橋町 道路元標」は断面の状態をみると花崗岩…いわゆる「御影石」で製作されているようです。
元標の表部分は石工による本格的な彫刻が施されているのが解ります。

さて…裏面を見てみます。
花壇の中なのでちょっと条件が悪いですが…

車道のクルマに気をつけながら観察します。
「府」という字は完璧に残っていますが…
おそらく「東京府」と彫られていたのだと思います。
それと、「東京府」の彫刻位置から想像すると、建立された年号などの記述は無かったのかも知れません。

歩道と車道の境界すれすれに建立されているのがこの写真から分かると思います。
現位置は大正時建立された位置とそれほど異なっていることは無いのでは…と想像します。

正面からもう一度見てみます。
大正に建立され平成の今日まで生き延びてきた「淀橋町 道路元標」
正面左側は歩道整備の際に出来たような新しい当て傷が見られます。
新宿の街の発展をずっと見守ってきた元標です。
もう少し厚遇してあげても良いのではないでしょうか。
新宿にも道路元標が保存されているということで、出掛けてきました。
国道901号 道路元標が行く さんのサイト資料によりますと、この道路元標の所在地は「淀橋町 柏木85」と記述されていました。

現在の住所は「新宿区西新宿八丁目」
新宿駅より徒歩で約10分ほどの距離になります。
なお、「国道901号 道路元標が行く」さんのサイトには「現在位置地図表示」で詳細な位置情報を参照することも出来ます。
モダンなデザインの高層ビルが立ち並ぶ風景。
この付近は「新宿副都心」とも呼ばれ、かつて「淀橋浄水場」という広大な施設があった跡地を再開発したエリアです。
「淀橋町 道路元標」の名称がそれを示すように、この地域は「淀橋」という地名でした。
お馴染み「ヨドバシカメラ」もその創業地である新宿区淀橋を社名(㈱淀橋写真商会時)に冠しているのではないでしょうか。
このような凄まじい開発ラッシュの跡地に大正時代の道路元標が果たして生き延びているのでしょうか?
半信半疑の期待を持ってその所在地を目指して歩きます。
東京都内の移動は公共交通機関による移動が最も効率的なので、今回オデ君は自宅で留守番です。

綺麗なモザイクの歩道の片隅に「淀橋町 道路元標」はありました。
非常に親切な位置情報を提供されていながら、実は100メートルほど「スルー」してしまいました。
その目標物を探しながら歩いているというのに見逃してしまう…それほど目立たない存在ということです。
近くには沢山の高層ビルが立ち並びそこに働く大勢のビジネスマンが歩く歩道ではありますが、この「淀橋町 道路元標」に気が付くのは極少数だと思います。

この歩道は比較的近年整備が行われたものだと思います。
まるで「花壇」の一部のようになってしまいましたが、それでもこうしてその存在を明らかにしています。
本来あるべき部分が欠損してこのような姿をしています。
どのような理由でかは解りません。
破断面は長い年月の風雪によりすっかり滑らかな表面となっています。
北海道で見てきた道路元標と違う点があります。
まず石材です。
北海道のそれはコンクリート製でザラザラ感のあるものでした。
「淀橋町 道路元標」は断面の状態をみると花崗岩…いわゆる「御影石」で製作されているようです。
元標の表部分は石工による本格的な彫刻が施されているのが解ります。

さて…裏面を見てみます。
花壇の中なのでちょっと条件が悪いですが…

車道のクルマに気をつけながら観察します。
「府」という字は完璧に残っていますが…
おそらく「東京府」と彫られていたのだと思います。
それと、「東京府」の彫刻位置から想像すると、建立された年号などの記述は無かったのかも知れません。

歩道と車道の境界すれすれに建立されているのがこの写真から分かると思います。
現位置は大正時建立された位置とそれほど異なっていることは無いのでは…と想像します。

正面からもう一度見てみます。
大正に建立され平成の今日まで生き延びてきた「淀橋町 道路元標」
正面左側は歩道整備の際に出来たような新しい当て傷が見られます。
新宿の街の発展をずっと見守ってきた元標です。
もう少し厚遇してあげても良いのではないでしょうか。