Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

南稚内駅 天北線 宗谷本線 9月2日 2016年

2017-07-26 | Weblog
天北線終着駅「南稚内駅」にやってきました。

「南稚内駅」は天北線の終点として「稚内駅」と名乗っていました。

この時はまだ「天北線」という線名ではなく「宗谷線」という名の線名でした。

その後、現在の宗谷本線ルートの路線が建設され、その2路線はここ南稚内駅で合流します。

ついこの前、この南稚内駅を訪れたと思っていましたが、それは2012年のことでした。

2012年  南稚内駅の記事はこちらから。



南稚内駅舎横の駐車場から、宗谷本線の路盤を見ます。

目の前のグリーンベルトは、天北線の路盤らしきスペースと見ることができます。

こちらが先に見てきた「宇遠内駅」方面となります。



同じ場所から稚内方面を見ます。

グリーンベルトの路盤跡は南稚内駅のホームに向かって延びています。



1977年南稚内駅の国土交通省カラー空中写真 を掲載しておきます。

赤矢印は今回、南稚内駅の路盤を撮影したおよその場所です。

写真中央には跨線橋が写っています。

その跨線橋との距離関係からして、撮影場所は赤矢印地点で良さそうです。

この写真には、緑矢印で示す「扇形車庫」と「転車台」が綺麗に写っています。

最北端、物流の要衝であった稚内。

その規模を示す写真であります。

撮影は1977年となっていますが、その年代でもそうとう大規模駅であったことが偲ばれます。



Wikiに掲載されている1941年当時の配線図「稚内駅*現南稚内駅」は1番線~6番線の旅客ホームと多数の貨物線を見ることができます。

この当時はすでに浜頓別経由の路線は「天北線」に、幌延経由が「宗谷本線」に名称が交換されていました。

そして注目は図下方に「稚内方→」の記述です。

稚泊航路の利用客を輸送する為に稚内港駅(後の稚内駅)まで延伸された路線ですが、当時の駅構造は「頭端式」と呼ばれる櫛形のホーム(*行き止まり)だったので、一旦スイッチバックして稚内港駅(わっかないみなとえき)へと向かったことが良く分かる「配線図」であります。

現南稚内駅は鉄道開設時には「稚内駅」と呼ばれていました。

その旧稚内駅を終点としていた路線は「宗谷線」と呼ばれていました。

後に幌延方面から延伸してきた路線は「天塩北線」と呼ばれていました。

双方の名称変更がなされ、「宗谷線」は「北見線」に、もう一方は「宗谷本線」となりました。

稚内まで後から開業した路線が「宗谷本線」を名乗りいまもその本線の地位を守っています。

一方の浜頓別経由の「北見線」は「天北線」と改称しますが、1989年(平成元年)5月1日に廃止されてしまいました。

いま「稚内駅」と呼ばれているのは「稚内港駅」で、南稚内駅は初代「稚内駅」であります。

路線名も駅名も時代と共に変化し、とても一瞬で理解するのは困難であります。

日本最北端駅の歴史はかなり複雑であります。

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