Model 107

1985年の107
じっくり時間をかけてお気に入りの一台に仕上げます。

北の40 新函館北斗駅 8月27日 2020年

2020-10-14 | Weblog
あのローカル駅(渡島大野駅)がまさか新幹線駅に昇華するとは…

全く予期せぬ出来事でした。

新駅着工から完成までこれまで何度も観察してきました。

新函館北斗駅を見て思い出すのは…新横浜駅です。

当時「こんな辺境地?に新幹線駅を建設してどうなるのだろう?」と思っていました。

今の新横浜駅の発展を見ると新函館北斗駅も建設当時を懐かしく振り返る時が来るのでしょう。

もちろん北海道 Lover として発展を願っています。



チケットの裏面です。

「先行製造車」というのは知りませんでした。

クルマでは「プロト・タイプ」などに相当するのでしょうか…販売はしないでしょうが…

その「先行製造車」が現役で今も活躍していると説明されています。

キハ40は絵的バランスがよく恰好良いですが、タフ・ガイでもあるのですね。

すごいぞ キハ40



みどりの窓口で「北の40」記念入場券を購入する際に係員さんから「こちらはいかがですか?」と勧められたのが「北の大地の入場券」です。

「へぇ~こんなキャンペーンもあったんだ…」となんとなく購入しました。



駅前ロータリーで写真撮影。



そのロータリーには写真のような郵便ポストが設置されています。

こちらは「ずーしーほっきー」という北斗市公式キャラクターです。

腰かけている「レンガ」は「茂辺地煉化石製造所」で製造されたレンガをオマージュしています。

「茂辺地煉化石製造所」は北斗市にあり明治時代に耐火性建造物の素材として需要がありました。

しかし、初期の製品は技術的に未熟で製品のクォリティーは低かったそうです。

製造されたレンガの刻印は「函館製造」となっていて、微妙な北斗市の立ち位置が今日まで続いていることを想わせます。

*確かに「北斗製造」というより「函館製造」の方が、ブランドとして通りは良いですね。

ポスト側面には とんぼ のイラストが描かれています。

童謡赤とんぼの作詞家 三木 露風 がトラピスト修道院の文学教師時代に作詞したそうです。

「童謡 赤とんぼ」日本人なら誰でも知っているマスター・ピースですが…その背景を深く考えたことはありませんでした。

北斗市観光協会のフェースブックに公開されている 露風の「赤トンボのこと」の原稿を以下に貼り付けておきます。


【 赤とんぼのこと  三木露風 】

 とんぼが飛ぶ頃になると、時は暑くはなく寒くはなく、よい気候となるのである。頭が大きいのが、その特色である。群れているとか、たびたび見るとかで、わりあいによく印象を受ける虫である。他のもによってよりも、とんぼを思うて、その頃を、考えたりする。私が作った童謡に「赤とんぼ」と題する作がある。次に擧げる童謡である。

夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
負われて見たのは、
いつの日か。

山の畑の、
桑の實を、
小籠に摘んだは、
まぼろしか。

十五で姐やは、
嫁に行き、
お里のたよりも、
絶えはてた。

夕焼け、小焼の、
赤とんぼ、
とまっているよ、
竿の先。

 これは、私の小さい時のおもいでである。「赤とんぼ」を、作ったのは大正十年で、處は、北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。或日午後四時頃に、窓の外を見て、ふと眼についたのは、赤とんぼであった。静かな空気と光の中に、竿の先に、じっととまっているのであった。それが、かなり長い間、飛び去ろうとしない。私は、それを見ていた。後に、「赤とんぼ」を作ったのである。関係のある『樫の實』に発表した。
 家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。西の山の上に、夕焼していた。草の廣場に、赤とんぼが飛んでいた。それを負われてゐる私は見た。そのことをおぼえている。北海道で、赤とんぼを見て、思いだしたことである。
 大分大きくなったので、子守娘は、里へ歸った。ちらと聞いたのは、嫁に行ったということである。山の畑というのは、私の家の北の方の畑である。
 故郷で見た赤とんぼに就いて云うと、あれから何年もたって、小学校へ行くようになり、通学したが、尋常小学校への道では見なかったが、高等小学校へ進んでからの通学の道では、あれは何という赤いきれいなとんぼだろうと、思ったことである。
 私が今住んでいる處へも、その時になると、どこからか、毎日赤とんぼが、庭え飛んでくるのである。
 とんぼは前段に書いた如く、頭が大きいのが、特色ではあるが、そのほか精巧である。長身にて、四枚の羽、六本の足、そうして、その羽は透いている。
 飄々として、處定めず飛んでいる虫である。


この文中でも、「北海道函館附近のトラピスト修道院に於いてであった。」と北斗市がスルーされています。

可哀想な北斗市。

新函館北斗駅に降り立つ観光客は「変わった郵便ポスト」くらいにしか見ません。

せめてレンガ製造の「茂辺地煉化石製造所」のこと…

赤とんぼの作詞家 三木 露風 がトラピスト修道院の教師時代に作詞した作品であること など説明パネルでも作り設置すれば良いのに…と思いました。

*ちなみに トラピスト修道院の在所は「北海道北斗市三ツ石」です。

三木 露風 は東京三鷹市において交通事故に遭い死去、享年75歳だったそうです。

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