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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■十戒 - 自由への励まし 8 / 大嶋重徳

2017年03月28日 | Weblog
2017/3/28放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。
聖書には十戒と呼ばれる、神と人との間に結ばれた愛の約束があります。
 十戒第一戒は「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(出エジプト記 20章3節)と続きます。

 「わたしのほかに」ということばは「わたしの目の前に」という意味があり、神様の目の前に他の神々を置いてはならない、と語られているのです。私たちが神様の目の前を生きているのだと自覚する時、今までの自分自身のしてきた判断や選択が実は神の喜ばれるものから程遠いものであったのではないかと顧みることができます。つまり神様以上の他の神々を神としていなかったのか?、と振り返ることとなります。

 一日を終えた時に、自分が神様の眼差しの前でどんな過ちを犯してしまったのか、その事を思い起こし、悔い改め、向きを変えることができるのです。そしてもし大きな判断の間違いをその日にしたとしても、大きな罪を犯したとしても、何より神様以外のものを第一にしてしまった歩みがあったとしても、私たちはその日の内にやり直して生きることができるのです。

 なぜなら、私を見つめておられる神はエジプトから救い出してくださる赦しの神である、と言うことを私たちはもう既に知っているからです。神の前で生きるとは、神の赦しと憐れみの中でやり直しのきく人生への招きです。むしろ問題は、一日を終えても自分の歩みを振り返らず、悔い改めもせず、やり直すこともせずに開き直って生きていくことではないかと思います。あるいは今日も自分は神様を第一にして歩んできたと誇っているなら、その歩みは第一戒の放つ鋭い響きに耳を傾けていない、傲慢な歩みをしている証拠なのではないかと思います。

 私たちはこの地上を歩む限り、エジプトの地すなわち奴隷の地にすぐにでも戻りたがっって神様以外のものを第一にしてしまう罪人です。この悔い改めの招きを十戒第一戒が語っているのは、これから続く九つの戒めを受け取っていくためです。第一戒が赦しの神の前で生きることを語っている意味は非常に大きいのです。

 十戒は十字架のもとで赦されながら聞くのだと言った人がいます。今朝もわたしたちはやり直しを与えてくださる神様の赦しの中で神様と共に歩んでいきたいと思います

  ( PBA制作「世の光」2017.3.28放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


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このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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