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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■聖書全体の中で/福井 誠

2016年03月31日 | Weblog
2016/3/31放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「聖書全体の中で」です。それではルカの福音書24章27節から読んでみましょう。
 それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。

 イエスが復活された時にイエスはたくさんの人にご自分を現わされましたねえ。500人以上の人にご自分を現された、と言います(参照 1コリント15章6節)。しかもイエスは本当に親しくご自分の復活された姿を現わしていますね。

 今日をお読みした箇所では、実はイエス様はエマオという町に行く道の途中で、二人の弟子たちにご自分の姿を現わされて親しく語られるのですが、彼らがなぜイエス様が十字架にかかり復活したのかということについて何も理解していない事実に直面して少々お怒りになっているのかなあ、と思うようなところがありますねえ。

 イエス様は言いました。
 「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光にはいるはずではなかったのですか。それから、イエスは、モーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自分について書いてある事がらを彼らに説き明かされた。」と言います。

 当時の弟子たちもイエスが十字架におかかりになったこと、そして復活することの意味をよく理解できていませんでした。彼らもまた、その事をもう一度聖書全体から教えられる必要があったのですね。

 そうであるとすれば、現代に生きる私たちにとってはなおさらのような気がしますねえ。私が高校時代の頃は2000年前にイエスが十字架におかかりになった、そのイエスは博愛主義者であったなどと倫理の時間に教えられていました。しかし学校の講義では博愛主義者と十字架や復活との繋がりはよく理解できなかったことを記憶しています。今は聖書を読むたびにイエス様の十字架と復活の意味を繰り返し深めて理解する所があります。ですから皆さんにもぜひ聖書全体を繰り返し読んでいただいて、イエスの十字架と復活の素晴らしさを知っていただきたいのです。

(PBA制作「世の光」2016.3.31放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

 
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