世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日も一日、さわやかに過ごしていきたいですね。
さて新約聖書のヨハネの福音書の8章という所に姦淫の現場で捕らえられた一人の女性が、ま、当時の宗教指導者たちによってイエス・キリストのもとに連れて来られたことが記されています。
それは何とかしてイエスを告発するための口実を得たいがために、ま、仕組まれた罠のようなものでした。 そして指導者たちはイエス様にこう問い正したんです。 「律法ではこういう女は石打ちにすることになっているが、あなたはどう御考えになりますか。」
いかにもイエス様の意見を尊重するかのような口ぶりでした。 しかし、イエス様は「石打ちにしなさい」と命じたら彼らは「なあんだ、イエスは愛と哀れみを説いているくせにこの罪深い女を死刑にするなんて。お前はこの罪人を救えないのだから救い主なんかじゃない。」と批難できたんです。
それではイエス様が「石打ちにしてはならない」と答えたらどうでしょう。 彼らは即座に、「イエスよ、お前はモーセによって与えられた律法を守らない奴だ。聖書のことばに従わないのだからお前は救い主であるはずがない。」 ま、いずれにしてもイエス様を訴える口実を得ることが出来たんです。
ところが、しばらくの沈黙の後、イエス様は、「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」(ヨハネの福音書 8章7節)と言われたんですねえ。すると年長者たちから始めて、ひとりひとり帰ってしまったんです。 そしてもはや残っているのはイエス様とその女だけでした。
この女は逃げようと思えばすぐに逃げることができたでしょう。 しかし彼女はそのままそこにいたんですね。 この女は、このままどこかに逃げても問題の解決はない、と感じていました。でも目の前にいるこの方こそ石打ちにされてもしかたのない私の人生の解決を与えてくださるかもしれない、そう感じていたんでしょうね。
そしてイエス様はこの女に、「わたしはあなたを罪に定めない。」(ヨハネの福音書 8章11節参照)と赦しを宣言なさったのです。
イエス・キリストこそ罪なき方として来てくださいました。 石を投げ付けることができる方はイエス・キリスト以外にはいません。 でもイエス様は人に石を投げるのではなく、自らの身にすべての人の罪を背負い、身代わりとなって十字架で死んでくださったのです。 この絶望的な女性の人生は、イエス様の「罪に定めない」との一言で生き返っていきました。
人が本当に生かされるためにどうしても必要なことは無条件の赦しと愛なんですねえ。 イエス・キリストの十字架こそ、その赦しと愛の溢れている姿なのです。
(PBA制作「世の光」2009.4.28放送でのお話しより)
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