2020/7/17放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス様が逮捕される前、オリーブ山のふもとにあるゲッセマネという所に行かれ、これまで弟子たちが見たことのない苦しみの形相でイエス様は苦しみ悶えながら祈られました。
「父よ、できますならばこの杯をわたしから過ぎ去らせてください。」(参照 マタイの福音書26:39 、マルコの福音書14:36、ルカの福音書22:42 )と祈られたのです。
「この杯」とは、自らが人の罪を背負い十字架について罰せられるということです。罪のない神の子イエス様が神様に呪われた者となるということ程大きな矛盾、大きな悲劇はありません。もしここでイエス様が、こんなに苦しんで何の得があろうか、そうだ、やっぱり十字架にかかるのはよそう、と言って放棄したなら救いの道は全く失われてしまいます。ですからゲッセマネのこの祈りは人として来られたイエス・キリストの最大の霊的な戦いだったのです。
一方で、弟子たちはどうしていたでしょう。弟子たちはイエス様が悶え苦しみながら祈っている時、何と眠ってしまった、と書かれているんです。それも三度も繰り返し眠り込んでしまったんですねえ。夜ですから疲れていたのかもしれません。あるいは、人は極度の恐れと緊張が続くと、それを和らげるために眠ってしまうことがあると言われるんです。ま、ともかく祈ろうとしても眠ってしまう。この繰り返しが弟子たちの姿でした。
そんな弟子たちにイエス様は、「誘惑に陥らないように目を覚まして祈っていなさい。心は燃えていても肉体は弱いのです。」(参照 マタイの福音書 26:41、マルコの福音書14:38 ) こう言われたのです。確かに心に燃えるような思いがあっても、実際に体が動かないっていうことってありますねえ。弟子たちはイエス様の悶え苦しむ姿を見て、ああ自分たちもイエス様のために祈らなくてはいけない、と心が燃えていたはずです。しかし眠いこけてしまったんですねえ。この弟子たちの姿は一体何を教えているんでしょう。
それは人はどんなに燃える思いがあってもイエス様が完成してくださる救いのみわざには何一つ手助けになるようなことはできない、ということなんです。イエス様の飲もうとする杯はイエス様以外には受け取ることのできない杯であり、人はそれに何も付け加えることができません。永遠の救いを達成してくださる方はイエス様以外に誰もいないのです。
(PBA制作「世の光」2020.7.17放送でのお話しより)
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