♪ラジオ放送・文字版「世の光」

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「世の光」を文字で 

■信仰があったなら / 福井 誠

2017年11月29日 | Weblog
2017/10/25放送


世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。今日のバイブル・メッセージは「信仰があったなら」です。マタイ福音書17章20節を読んでみましょう。

 イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。

 旧約聖書の偉大な指導者と言えばモーセが挙げられます。モーセはエジプトで奴隷状態であったイスラエルの民を解放しエジプトから脱出させた偉大なリーダーでした。マタイの福音書はどうもイエスをモーセのように描いていると思われるところがあります。今日の箇所もその例で、例えばモーセがシナイ山に上り神と共に良き時を過ごした後に山から降りてきた時に直面したことはイスラエルの背教の姿でした。それは出エジプト記の32章に詳しく描かれています。同じように(マタイ)17章ではイエスが高い山に登り、そこで神と良き時を過ごした後に山を下るとイエスは弟子たちの不信仰に直面しているのです。弟子たちは病で苦しんでいる人を直すことができず困り果てていました。イエスに信仰を学びながらそれを働かせることのできない弟子たちの姿がありました。

 確かにクリスチャンになるということは神の力に生きる人生です。信じる対象、信頼を置く方が天地万物の創造主であるならばそこにはあらゆる可能性があるはずだからです。しかし、いざ無理難題が起こると私たちは神様のことなど忘れて神様を見上げることをしません。「山を動かす」はことわざ的な表現で、不可能性を可能にすることを意味します。もちろん信仰を持てば何でもなるという訳ではないでしょう。大切なのは神様の御心です。神様が良しとすればあれがなりこれがなるということです。どんなに信仰を持っても神様がお許しにならなければ何事もならない。しかし神様がお許しになればいかなることも可能であるということです。神の主権を覚えつつ、信仰を持つならば無限の可能性があると考えたいものですね。信仰を持つことは生きて働かれる神を信頼することです。ぜひ神の御力を味わい知る人生を歩みたいものですね。

(PBA制作「世の光」2017.10.25放送でのお話より )

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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