2020/11/26放送
世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。木曜日と金曜日はマルコの福音書から学びましょう。今日は平和の王の入城と賛美についてです。
キリストが地上を歩まれた当時の人々は、旧約聖書が預言する救い主メシアが来ると神の国イスラエルが再興され、旧約時代のダビデやソロモン王の時のような栄光が現されると信じていました。ローマ帝国がイスラエルを支配していたキリストの時代、人々はローマを打ち倒す王を待っていたのです。
しかし、神様の計画は全く違いました。力強い軍馬ではなく平和を象徴するロバ、しかも子供のロバに乗った救い主キリストが人々の身代わりに十字架にかかることによってもたらされる神の国の樹立でした。それこそ真の神の国だったのですが、人々はまだそれを理解できませんでした。
キリストがロバの子に乗りエルサレムに入城されるとき、いよいよローマを撃ち倒す時が来たのだと思い、彼らはこう叫びました。
「ホサナ。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。
祝福あれ、われらの父ダビデの、来たるべき国に。ホサナ、いと高き所に。」
新約聖書 マルコの福音書11章9節、10節
人々は自分の上着や葉のついた枝を道に敷き、力の限り叫び喜んだのです。 しかし、この五日後の金曜日には多くの人々がキリストを、十字架につけろ、と叫ぶことになるのです。人々の心は自分たちの願望や欲望に満ち、本当の実を結んではいなかったのです。
その民の心は、当時のエルサレムの宮の状態に顕著に現れていました。神を礼拝する場所が人々の欲望を表す場所になっていたのです。さらにエルサレムを出たキリストの行く手に民の実情を象徴する木がありました。それは遠くから見ると葉も多く勢いがあるように見えても全く実を結んでいないイチジクの木でした。キリストはその木に向かってこう言いました。
「今後いつまでも、だれもおまえの実を食べることがないように。」
弟子たちはこれを聞いていた。
マルコの福音書11章14節
私たちの心も自分の都合によって神やキリストに対しての態度を変え、本当の悔い改めの実や真実の実を結ばない者となっては居ないでしょうか。神様は私たちの心をご覧になるのです。
(PBA制作「世の光」 2020.11.26放送でのお話より )
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