goo blog サービス終了のお知らせ 

 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■主の祈り 3 / 大嶋重徳

2015年02月03日 | Weblog
2015/2/3 放送


 世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 大嶋重徳です。

 聖書にはイエス・キリストが弟子たちに教えられた「主の祈り」という祈りが記されています。キリスト教信仰は祈りの信仰です。しかし祈ってみてくださるとお分りになるかと思うんですが、私たちは祈りの最中に、今日の仕事は何だったっけ?、ご飯は今日何を作ろうかな?、と他のことを考えてしまい、気が散ってしまうということがあります。あるいは、祈りながらも自分の抱えている悲しみに祈りが埋没して、祈ることよりも自分の思いに集中してしまうということもあるでしょう。祈りが人間の思いの中にとどまってしまうのです。

 しかし、主の祈りを祈ると言うことは私たちが人間的な思いを抜け出て、神の思いへと連れて行かれるということなのです。なぜなら、主の祈りは人間の思いで作り出された祈りではなく、イエス様が父なる神に祈られた神の子と神との交わりの祈りであって、言うなれば神同士の祈りです。つまり最も神の御心にかなった祈りなのです。

 もし祈りが自分の思いの中にひきこもってしまう時、私たちは主の祈りを祈り、主の祈りから祈りの本質を学ぶのならば、私たちは自分の祈りの何が違っていたのかを点検することができます。そしてやがて私たちの祈りが主の祈りによって整えられていき、ふさわしい祈りへと変えられていくことができるのです。

 ある学生がこんな事を分かち合ってくれました。「自分がよく祈っている時に他のことが気になってしょうがなくなります。そんな時に主の祈りに戻るのです。そしてまた普段の祈りを続けます。」 これは非常に正しい行為だと言えるでしょう。ですから、ぜひこの主の祈りを皆さんも暗記していただきたいと思うのです。そして気が散った祈りになる時に、主の祈りを口にしていただきたいと思います。

 また何か自分の祈りや信仰にも自信を失ってしまうことがあれば、主の祈りを祈っていただきたいと思います。そうする時、私たちの祈りはイエス様の思いの近くにある祈りとなり、神の御心にかなう祈りを為したと主は私たちの祈りを覚えてくださるのです。

  ( PBA制作「世の光」2015.2.3放送でのお話しより )

******


さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。


******
このサイトは URL名として  http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■3つの確信 / 関根弘興 | トップ | ■腹いせ / 板倉邦雄 »