2015/2/2放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。今日は聖書のことばをまずお読みいたします。
この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
ルカ福音書5章27節から28節
当時のユダヤの人たちはローマ政府のために税金を取り立てている取税人を、ローマの手先、国を売った奴、裏切り者と呼んで軽蔑し、嫌っていました。そんなレビの人生を一変させる出会いが訪れました。何とイエス・キリストが収税所に座っているレビに目を留めて、「わたしについてきなさい」と言われたのです。すると彼は何もかも捨てて立ち上がってイエス様に従って行きました。
レビはどうしてイエス様について行けば大丈夫だと思ったのでしょう。それはイエス様は三つのことについて確信をもっておられたということを彼は知ったからではないかと思うんですねえ。
第一は、イエス様は自分の存在についての確信をはっきりと持っていました。イエス様はご自分がどんな存在であるかということを明確に自覚してはっきり宣言なさいました。例えば、イエス様は「わたしはいのちのパンです」( ヨハネ 6章48節、参照ヨハネ 6章35節 )と言われました。つまり、「わたしは人々を生かすことのできる存在だ」と宣言したんです。「わたしは世の光です」(ヨハネ 8章12節、ヨハネ 9章5節)とも言われました。「わたしは人々の暗闇を照らす存在だ」と宣言した訳ですね。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ 14章6節)とも言われました。イエス様はご自分が真理そのもので、神に近づくための道そのものなのだと言われたのです。イエス様は自分のあり方をはっきりと自覚なさっていました。
二番目に、イエス様は自分の使命についての確信をもっていました。イエス様は、はっきりこう言われました。「わたしが来たのは人々にいのちを与えるためです。」(参照マタイ 20章28節、マルコ 10章45節)そしてまた「失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ 19章10節)と言われたのです。
そしてイエス様は将来についての確信をはっきりと持っていました。イエスはこれから何が起こるか明確に把握しておられました。ご自分が十字架につけられ三日目によみがえり、天に上りまた戻って来られることも知っておられました。イエス様は「明日のための心配は無用だ」(参照マタイ 6章34節)と言われたんですねえ。なぜなら、イエス様が明日のことを御存知だからです。
このイエス様が収税所に座っているレビを見て、「わたしについてきなさい」と言われたんですね。そして今日、ラジオを聴いているあなたに対しても、「わたしを信頼しわたしについてきなさい」とイエス様は招きくださっています。この方に信頼することは確信をもって生きる人生のスタートとなっていくのです。
(PBA制作「世の光」2015.2.2放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
世の光の時間です。お元気でお過ごしですか? 関根弘興です。今日は聖書のことばをまずお読みいたします。
この後、イエスは出て行き、収税所にすわっているレビという取税人に目を留めて、「わたしについて来なさい。」と言われた。するとレビは、何もかも捨て、立ち上がってイエスに従った。
ルカ福音書5章27節から28節
当時のユダヤの人たちはローマ政府のために税金を取り立てている取税人を、ローマの手先、国を売った奴、裏切り者と呼んで軽蔑し、嫌っていました。そんなレビの人生を一変させる出会いが訪れました。何とイエス・キリストが収税所に座っているレビに目を留めて、「わたしについてきなさい」と言われたのです。すると彼は何もかも捨てて立ち上がってイエス様に従って行きました。
レビはどうしてイエス様について行けば大丈夫だと思ったのでしょう。それはイエス様は三つのことについて確信をもっておられたということを彼は知ったからではないかと思うんですねえ。
第一は、イエス様は自分の存在についての確信をはっきりと持っていました。イエス様はご自分がどんな存在であるかということを明確に自覚してはっきり宣言なさいました。例えば、イエス様は「わたしはいのちのパンです」( ヨハネ 6章48節、参照ヨハネ 6章35節 )と言われました。つまり、「わたしは人々を生かすことのできる存在だ」と宣言したんです。「わたしは世の光です」(ヨハネ 8章12節、ヨハネ 9章5節)とも言われました。「わたしは人々の暗闇を照らす存在だ」と宣言した訳ですね。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ 14章6節)とも言われました。イエス様はご自分が真理そのもので、神に近づくための道そのものなのだと言われたのです。イエス様は自分のあり方をはっきりと自覚なさっていました。
二番目に、イエス様は自分の使命についての確信をもっていました。イエス様は、はっきりこう言われました。「わたしが来たのは人々にいのちを与えるためです。」(参照マタイ 20章28節、マルコ 10章45節)そしてまた「失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ 19章10節)と言われたのです。
そしてイエス様は将来についての確信をはっきりと持っていました。イエスはこれから何が起こるか明確に把握しておられました。ご自分が十字架につけられ三日目によみがえり、天に上りまた戻って来られることも知っておられました。イエス様は「明日のための心配は無用だ」(参照マタイ 6章34節)と言われたんですねえ。なぜなら、イエス様が明日のことを御存知だからです。
このイエス様が収税所に座っているレビを見て、「わたしについてきなさい」と言われたんですね。そして今日、ラジオを聴いているあなたに対しても、「わたしを信頼しわたしについてきなさい」とイエス様は招きくださっています。この方に信頼することは確信をもって生きる人生のスタートとなっていくのです。
(PBA制作「世の光」2015.2.2放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでも、ちょっときてみました、いいですか? と言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。