世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。
えー、キリスト教に対するつまずきがあるとしたら、一つはキリストが復活したということについてでしょうねえ。死んだ者がよみがえるなんてとても信じられないっていうその気持ちは分りますねえ。
それからもう一つのことは、それよりも前に、キリストが処女(おとめ)マリヤから生まれたっていうこのことについてですねえ、そんな馬鹿なことがあるか!って、だからキリスト教は・・・っていうふうに思ってしまうってことがあるだろうと思うんですねえ。
で、当の本人であるマリヤも、とてもそんなことがあり得る筈がないというふうに思った。これは当然ですよねえ。御使いが現われて「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。」というふうに言われた。ですからこのマリヤは、「どうしてそのようなことになりえましょう。」というふうに言いました。
そうですまだマリヤは婚約はしていましたけれども結婚はしていません。それなのに身ごもったなんていうことがもしあったとしたらこれは大変なことになります。周りの人々からどう見られるか、そしてそのいいなずけの相手にどう思われるかとか、これは大変なことです。それよりも、大体、処女(おとめ)である私が男の子を身ごもるということ自体があり得るはずがないと思ったのは当然ですね。そのマリヤに対して、「神にとって不可能なことは一つもありません。」というふうに(御使いは)申しました。
マリヤが男の子を宿すということは救い主を宿すということですね。神は救いのみわざをなさるためにその御子イエス・キリストをマリヤの胎に宿されるということですけども、そのことを通して神は全人類に救いのわざをなそうとしておられる。救いのわざというのは、人間の罪が赦される。今までたくさんの罪を重ねてきた者が神の前に罪のない者と認められる。そして永遠の滅亡しかなかったのにそれが赦されて永遠のいのちを持つことができる。そんなことがあり得ましょうかという、いや神にとって不可能なことは一つもありませんというこのあり得ない事実を神がしてくださったその奇跡の始まりを通して、神様は私たちにもそのようなあり得ないすばらしい救いのわざをなしてくださるということを証明してくださったんですね。それをそのまま受け入れたマリヤにそのことが成就したように、私たちがこのイエス・キリストの救いを受け入れる時にその救いのわざがなされるということなんです。
( PBA制作「世の光」2005.12.19放送でのお話しより )
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