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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■トマトとメロン

2005年04月11日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道です。

 人間はとかく人と比べたがる所がありますよね。そして思いあがってみたり、卑下してみたりというようなことがあると思うんですけれども、あのー、最近こんなことばに出会いまして、ちょっと紹介してみたいと思うんですが、これ、詩なのかどうか分りませんけれども、

 「トマトにねー、いくら肥料をやったってさあ、メロンにはならねえんだなあ。トマトとね、メロンをね、いくら比べたってしようがねえんだなあ。トマトよりメロンの方が高級だなんて思っているのは人間だけだねえ。それもね、欲の深い人間だけだなあ。トマトもねえ、メロンもねえ、当事者どうしは比べも競争もしてねえんだなあ。トマトはトマトのいのちを精一杯生きてるだけ。メロンはメロンのいのちをいのち一杯に生きているだけ。トマトもメロンもそれぞれに自分のいのちを百点満点に生きているんだよ。トマトとメロンをね、二つ並べて比べたり、競争させたりしているのは、そろばん片手の人間だけ。当事者にしてみればいい迷惑のこと。メロンになれ。メロンになれ。かっこいいメロンになれ。金の一杯できるメロンになれ、と尻ひっぱたかれて、ノイローゼになったり、やけのやんぱちで暴れたりしているトマトが一杯いるんじゃないかなあ。」
 ってまあ書いてある訳なんですねえ。

 それぞれトマトの好きな人もあるだろうし、メロンが高級だとは言ってもメロンは嫌いだという人だってあったりする訳ですけれども、しかし、ともかくトマトはトマトとして百点満点で生きている。メロンはメロンでいのち一杯に生きている。ていう訳で、それを人間の判断でどっちが高級だとかどっちがどうだとかいうことは愚かなことだっていう風にまあ言える訳で、そういうようなことは分かっていても人間にもしばしばですね、あの人のように自分はできないから私はだめだとか、あの人を見習いなさい、あの人はこんなにやっているのにあんたはどうしてできないの、とか言われたりするとこれもがくっときたりしますよねえ。

 で、ローマ人の手紙の12章という所に書いてあるんですけれども、「自分に与えられた恵みによって」ということばがあるんですね。で、「神はおのおのに分け与えてくださった信仰の計りに応じて謹み深い考え方をしなさい。」それぞれに応じた与えられかたをしているその分をわきまえて、それなりに精一杯生きて行くってことが大切かなあっていう風に思うんですね。
 
 ( PBA制作「世の光」2005.4.11放送でのお話しより )

*****

さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会に行ってみるというのもいいんじゃないかなあ。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。




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