♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■問われる家族

2005年04月21日 | Weblog

 お元気でいらっしゃいますか。世の光の榊原 寛(ひろし)です。
 
 ここ数年、夫婦の離婚とか、それに伴った子どもたちの将来の問題、家庭内暴力、夫婦間の暴力、つまりドメスティックバイオレンスの問題、児童虐待や引きこもりなど、家庭についての多くの課題と取り組んできたような気がします。

 ある日の新聞には、問われる家族と題しまして精神科医の斉藤さとるさんと清心女子大学教授のいわかみまみさんの話しが掲載されていました。お二人が共通して語られていた内容は、戦後に一般化した男女分業型の核家族という家族のイメージは、産業構造や男女の生き方の変化で多様なあり方へと脱皮が求められている、こんなことでした。そして家族の機能は低下していると指摘していました。つまり、家族が欠けている問題は家族どうしで解決していったが、 今は、家族は無条件で安全な砦ではなくなっているって言うんですね。

 斉藤さんは、まず近所と仲良くなる。自分の家族の問題をさらけだすような関係を作ることだ。 不登校や離婚など、同じ悩みを持つ人が集まる自助グループを複数持つといい。こんなふうに言っています。また、いわかみさんは、 昔は家族が地域にしっかり組み込まれていた点が今と違う。監視の目が多い、うっとおしさがあった反面、助けが得られた。だが今は、地域との繋がりがなく、孤立化している家族が少なくない。社会全体でケアが必要だ。こんなふうに指摘していらっしゃいました。

 まあ児童虐待などを考えましても、実の父親や実の母親から子どもたちは虐待を受けているんですねえ。実はその若い父親や母親が子どもであった頃、どうだったんでしょうか。愛された経験が乏しかったのではないだろうかと思わされます。 お前なんか生まなきゃ良かったなどと、じゃまもの扱いされた事が多かったんじゃないかなあって思うんです。離婚も家庭内暴力も煎じ詰めていくと愛の欠乏に辿りつくような気がします。

 聖書は、「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」こんなふうに言っています。何かができるかという事が問題じゃなくて、神秘的な不思議ができても愛がなかったらやかましいって、こう言うんですね。 価値がないって言うんですねえ。愛というのは、自分の都合や好き嫌いを越えて相手を大切にする思いだと思います。これは神がキリストのいのちを犠牲にしてあなたを愛している、つまりアガペーの愛なんです。すべての人間関係の祝福。ここが原点だと思いますね。聖書を通してぜひ追い求めていただきたいと、そんなふうに思っています。

(PBA制作「世の光」2005.4.21放送でのお話しより )

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせて日曜日の朝、教会に行ってみましょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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