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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■キリストによる新しい契約 /羽鳥頼和

2025年08月18日 | Weblog

2025/5/19放送

 「世の光」の時間です。お聴きくださりありがとうございます。羽鳥頼和です。
 今週は新約聖書へブル人への手紙からお話ししようと思います。今日は8章からお話しします。

 キリストは今どこにおられるのでしょうか? へブル書の8章には、この方は天におられ、まことの幕屋で仕えておられる、と教えられています。
 このことは地上で生きている私たちには何の関係もないように思いますが、実は、神が私たちを救ってくださることと、とても関係があることなのです。

 キリストがおられる「天」とは神のおられるところであり、そこにある「幕屋」とは、神を礼拝するところです。地上にも幕屋があります。聖書は、地上の幕屋は天の幕屋の「影」であると教えています。つまり天の幕屋が実物で、地上の幕屋は実物の影なのです。
 地上の幕屋は神が作るように命じられたものです。地上の幕屋でも神を礼拝することができ、神はその礼拝を喜んでくださるのです。そして今はキリスト教会が神を礼拝するところなのです。
 天におられるキリストは今、神にささげる礼拝を取り仕切っておられるのです。

 さらにへブル書の8章は、キリストは新しい契約の仲介者であると教えています。聖書で「契約」とは、神が人と結んでくださる約束です。それは人が神との信頼関係を持つことができるという約束です。

 ところが初めの契約を結んだとき、人がそれを一方的に破ってしまったために神は新たに新しい契約を結んでくださったのです。そしてキリストがその新しい契約の仲介者であるというのです。

 この新しい契約は私たちにも与えられています。キリストは「新しい契約」によって私たちが神と信頼関係を永遠に堅く保ち続けることができるようにしてくださったのです。

 キリストがどのように新しい契約を結んでくださったのか、明日そのことをお話しします。ぜひ明日もお聴きください。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.19放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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■心配ごとは神に委ねる /阿部頼義

2025年08月16日 | Weblog

2025/5/17放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は「心配ごとは神に委ねる」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 以前、私の心に響いた聖書のことばがありました。それは「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(新約聖書 ペテロの手紙第一5章7節)ということばでした。当時、私はアメリカの大学院に留学し、聖書を学んでいました。仕事はしていませんでしたから、生活は楽とは言えませんでした。

 ある時、後数ヶ月で家賃が払えなくなるかもしれないという状況になり、とても悩んだ記憶があります。もちろん神を信じていましたが、やはりお金の問題は切実でした。
 心配が募りストレスを感じていたある日曜日、インターンをしていた教会の礼拝に行くと、牧師が先ほどの聖書のことばを引用しました。
  「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
 その時の自分にとっては、まさに神の声のように聞こえました。気持ちがスッと軽くなったのを覚えています。

 しかしそれで終わりではありませんでした。翌日、その牧師からメールが届きました。そこには、「あなたの学びが終わるまで、教会があなたの家賃を補助します」と書いてあったのです。もちろん牧師は私が家賃のことで悩んでいたことは知りませんでした。私は前日に聞いた聖書のことばと相まって、本当に神は生きていてこんな自分のことも心配してくださっているんだと感じることができました。

 私たちの生活には心配がつきものだと思います。あれやこれやと思い煩い、心が重く感じる時もあると思います。
 しかし聖書は、そのような思い煩いを自分一人で抱えるのではなく神に預けなさいと言っています。神はあなたの心の悩みをすべてご存じです。まずは深呼吸をして、自分一人で抱えなくて良いんだと自分に言い聞かせてみてください。そして神に向かって祈ってみてください。
 神はあなたのことを心配し、あなたに必要なものを備えてくださる方です。

 お聴きくださり、ありがとうございました。

 

    ( PBA制作「世の光」 2025.5.17放送でのお話しより )


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■不完全さという価値 /阿部頼義

2025年08月15日 | Weblog

2025/5/16放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は「不完全さという価値」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 皆さんは自分自身の価値についてどのように見ていますか? よく世間では年収や学歴、どのような家に住んでいるか、またどんな人脈を持っているかなどで自分が価値ある人間だと見せようとする傾向があるように感じます。
 もちろん努力をして得た結果であれば、その努力を誇りに思って良いと思います。
 しかし聖書を見ると、神は私たちの価値について少し違った基準を持っていることがわかります。それは、「不完全さという価値」です。
 そもそもこの地上には完全完璧な人間はいません。むしろ誰だって欠点があり弱さがあるのです。どんなに幸せそうに見える人でもコンプレックスを持ち、心に闇を抱えていることがあるのです。

 神はそのような不完全な私たちに「あなたは世の光」「あなたはわたしの作品」「あなたはわたしの愛する子だ」と言って価値を認めてくださっているのです。

 このように不完全なものを価値あるものとする見方は、日本の文化の中にも見られます。金継ぎという伝統技術もその一つです。金継ぎとは、欠けたり割れたりした器を漆と金粉で修復する伝統技法です。割れ目や欠けたところが金粉によって新たな模様のようになり、以前とは違った味わいのある作品として蘇るのです。日本の侘び寂びを感じますよね。
 同じように、聖書には私たちが「土の器」だという表現があります。土の器ですから脆くて、すぐに欠けたり割れたりしてしまいます。しかし、そのような土の器である私たちに神の愛が注がれるとき、私たちの欠けから神の愛が輝き、そこに新たな価値が生まれるのです。むしろ、欠けているから素晴らしい、とさえ言えるのです。

 もし今、自分の価値を低く見てしまっている方がいるなら、「不完全さという価値」を知ってください。神は不完全な私たちを価値あるものとして輝かせてくださっているのです。

 今日も「世の光」をお聴きくださりありがとうございました。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.16放送でのお話しより )


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■視点を移すと見方が変わる /阿部頼義

2025年08月14日 | Weblog

2025/5/15放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は「視点を移すと見方が変わる」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 皆さんは、八方塞がりだと感じるような経験をしたことはありますか? 「ああ、やれることは全てやったのに全く事態が変わらない。むしろ悪くなってしまった。」 このように、程度の差こそあれ皆さんも様々なピンチを経験されたことがあると思います。

 そのようなとき、目の前の事実や他人を変えることはできませんが、自分自身の視点を少し変えることで気持ちが楽になることがあるかと思います。視点をほんの少しだけ移すと物の見方が変わり、物の見方が変わると問題がそこまで重要な問題ではなくなるということがあるのではないでしょうか。
 あるカウンセラーはこれを問題の「解決」ではなく「解消」だと言い表しています。

 聖書の中にも、同じようにして八方塞がりの状況を乗り越えた人物がいました。それはハバククという預言者でした。彼は信仰心の強い人物でしたが、そんな彼でも残虐な大国が勢力を伸ばし自分の国が攻められようとする中で、「どうすればいいんだ! なぜ神は沈黙しているのか!」と、神に対し不信感と不満をぶつけたのです。
 そのような彼に神は答えられました。「どんなに悪が蔓延(はびこ)るような状況でも背後で神が守っているのだ。」と。そして、「どのような状況でも神を信頼して生きることが大切だ。」と。
 このことばを聞いた時、彼の物の見方が変えられました。目の前の現実は悪くなる一方だけれど、その背後に正義の神が働いておられることを知ったからです。
 彼の視点は変えられ、信仰によって困難の中でも希望を見出すことができるようになったのです。目の前の問題は何一つ解決されてはいませんでしたが、彼の心の中では信仰によって問題が解消されていったのです。

 皆さんの中には、今八方塞がりでどうしたらよいか分からない、と感じている方がいるかもしれません。
 でも聖書は、「神は、あなたを決して見捨てない。神はあなたと共にいる。」と約束しています。問題に目を留めるのではなく、問題の背後に働かれる神を信じて進んでいきたいですねぇ。

 

    ( PBA制作「世の光」 2025.5.12放送でのお話しより )


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■臆病でも大丈夫 /阿部頼義

2025年08月13日 | Weblog

2025/5/14放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。
 今日は、「臆病でも大丈夫」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 私たちは人間ですから、時に弱気になったり落ち込んだりすることがありますよね。職場での人間関係に疲れたり、相手から嫌なことを言われたりして、職場に行きたくないと思うことだってあるはずです。

 聖書に出てくるギデオンという人物も弱気になり、現実逃避の中で密かに暮らしていた人物でした。彼は元々戦士だったのですが、敵から逃れて細々と生活していたのです。聖書を読むと、この時彼は戦場ではなく隠れた場所で小麦を打っていた、と書いてあります。

 彼は相手の強さに圧倒され、自信を喪失し、本来いるべき場所、本来やるべきことから逃げていました。
 しかし神はそのような臆病なギデオンに、「力ある勇士よ、神である私があなたとともにいる」(士師記6章12節)と語られたのです。

 ここには、二つのメッセージが込められています。
 まず神は、(ギデオンは)「力ある勇士」だと励ましている、つまりギデオンの潜在能力を認めているんですね。ギデオンにとっては、自分が戦士であることを思い起こすことばだったのだろうと思います。

 そして二つ目は、「神があなたと共にいる」というメッセージです。「あなたは一人じゃない。倒れた時にあなたを支えている神があなたのそばにいるんだよ」と、慰めのメッセージを語っているのです。

 ギデオンはこのことばを聞いた後、いきなり誇り高き戦士に変わったわけではありません。むしろ弱気で臆病なままでしたが、信仰によって神に信頼するものへと変えられていったのです。

 皆さんの人生の中でも、時には失敗を恐れて臆病になったり、自分の殻に閉じこもったりすることがあるのではないでしょうか。そのような期間が必要な時もあるでしょう。
 でも、神はそのような時にも、「わたしはあなたとともにいる、臆病なままのあなたでいいから、わたしに信頼しなさい」と語ってくださっているのです。

 あなたもそんな神に信頼してみませんか? 今日も皆さんの上に神様の励ましがあるようにお祈りします。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.14放送でのお話しより )


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■嘆くことの大切さ /阿部頼義

2025年08月12日 | Weblog

2025/5/13放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は「嘆くことの大切さ」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 ある心理カウンセラーが、「現代社会は時間の流れが早く、時間をかけて嘆くことが疎(おろそ)かにされているように感じる」と言っていました。自分自身に当てはめて考えてみても、確かに忙しさを言い訳に自分の感情をグゥッと心の奥に押し込めて平静を装ってしまうことがあるなと思います。それに、嘆くことや感情を表に出すことへの抵抗感のようなものさえあるなと感じます。皆さんはいかがでしょうか。

 意外かもしれませんが、聖書を見ると歴史に名を残すような人物たちの嘆きが収録されています。しかも、キリスト教の中心人物であり救い主とされるイエスもその一人なのです。それは「ゲッセマネの祈り」として新約聖書に収録されています。

 「ゲッセマネの祈り」とは、イエスが十字架にかかる前夜、その苦難を前にして嘆いた祈りです。その時イエスに課された苦難とは、人類の罪を背負い、その身代わりとなり十字架にかかる、というものでした。
 聖書には、イエスの汗が血の滴のように地に落ちた、と表現されています。それほどイエスは苦しまれたのです。イエスは嘆きの後で自分の運命を父なる神に委ね、十字架へと進むことになります。

 結局、祈りは聞かれず、イエスは十字架で死なれました。助けるものはいなく、三年間一緒に生活してきた弟子たちさえも逃げていきました。イエスは肉体的な苦しみだけでなく、精神的な苦痛を味わわれたのです。

 しかし、話はそれで終わりませんでした。神はイエスに新たないのちを与えられ、三日目に復活させたのです。
 それだけでなく、イエスを救い主と信じる人々にも同じように新しいいのちを与えると約束されたのです。

 このように、神は私たちの嘆きを聞いてくださり、思ってもいない解決を与えてくださる方なのです。
 皆さんの人生の中でも、抱えている問題が大きくて前に進めないように思える時があると思います。そんな時は、少し立ち止まり、自分の感情を神に祈ってみてください。ああ、もうダメかもしれない、と嘆くようなことがあっても、神に祈るとき、イエスを死から復活させた神の力が、私たちをもう一度立ち直らせてくださるのです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.13放送でのお話しより )


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■弱い時にこそ強い /阿部頼義

2025年08月11日 | Weblog

2025/5/12放送

 「世の光」の時間です。私は神奈川県海老名市にあるグレースガーデンチャーチ牧師の阿部頼義です。今日は、「弱い時にこそ強い」というテーマで聖書からメッセージをお届けします。

 皆さんは、一生懸命努力しているのに、なかなか報われなかったり、いくら頑張ってもどうにもならないので諦めてしまったりするような経験はないでしょうか。私たちの人生の中では多かれ少なかれ、そのような挫折感を味わうことがあると思います。

 実は聖書の中にもそのような挫折を味わった人物がたくさん出てきます。そのうちの一人にパウロという人物がいます。彼は新約聖書の大半を書いた偉大な人物ですが、そんな彼でも挫折を経験しました。
 ある時は異教徒から攻撃を受けたり、またある時は身内であるはずの教会の内部から誹謗中傷されたりしました。そればかりでなく持病があり、健康面での弱さも感じていたのです。
 彼は何度も「健康な体にして欲しい」と祈りました。しかし神はパウロの祈りに対して、「私の力は、あなたが弱い時にこそ、あなたのうちに発揮されるんだ」と言われたのです。結局パウロの願いは答えられませんでした。
 しかしパウロにはある気づきが与えられました。それは「自分が弱くなればなるほど、そこに神の力が強く働くのだ」ということでした。パウロの中でパラダイムシフトが起こったのです。そしてパウロは名言を言います。「私は、私が弱い時にこそ強い。」 この時パウロは弱さをも強さだと捉えることができる知恵を得たのです。

 これは一般的にはなかなか受け入れられない考え方かもしれません。普通は弱さを克服し、強くならなければいけない、と言われると思います。
 しかし実際には、強くなりたいと願うその思いが自分を苦しめることがあるのです。
 だから聖書は、自分の力ではなく神の力に頼りなさい、と何度も言っています。
 神に信頼し、自分の弱さをも強さだと思えるとき、本来の自分の力が発揮できるようになるからなのです。

 もし今、自分の弱さを感じている人がいるなら、ぜひ神様に祈ってみてください。神様は皆さんの弱さのうちに働いてくださるからです。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.12放送でのお話しより )


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■さばいてはいけません /福井 誠

2025年08月09日 | Weblog

2025/5/6放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? この一週間、皆さんと新約聖書のマタイの福音書を読み続けることができたことは感謝なことでした。
 今日は「権威ある者」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章28、29節 をお読みします。

 「イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」

 イエスは、マタイの福音書の5章から7章に渡る「山上の説教」と呼ばれる教えを説かれました。それらは各章ごとに特徴のある教え方となっています。
 たとえば5章は、当時「律法学者」と呼ばれた人々つまりユダヤ人の律法について専門的な教育訓練を受けた教師の教えに対する批判です。そして6章は、当時「パリサイ人」と呼ばれた敬虔な信徒集団の信仰実践に対する批判です。
 最後の7章は、律法学者でもパリサイ人でもない、イエスの弟子はどうなのかというイエスの弟子の在り方を述べています。ですから、その教えの端々に「あなたがたは、律法学者にはこう教えられているだろうが、わたしの教えはこうである」という特徴的な言い回しが出てくるのです。
 つまりイエスはただの教師ではなく、自分が世界の誰よりも権威がある者であるかのような教え方をされました。

 ですから説教を聞き終わった群衆は、そのように語るイエスに驚かざるを得なかったのです。

 今週私たちは心を打つイエスの金言を見てまいりました。大切なのは、それらを語るイエスの権威を認め、イエスを神の子として信仰を持って受け止めていくことです。イエスが語られたことを日常の生活に適用することです。

 では、良い一日となりますように。皆様の生活の守りと祝福をお祈りしております。


    ( PBA制作「世の光」 2025.5.6放送でのお話しより )


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■偽預言者に気をつけなさい /福井 誠

2025年08月08日 | Weblog

2025/5/9放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。今日は「偽預言者に気をつけなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章15節、16節をお読みします。 

「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。」 

 昨今、指導者が神や救世主に成り代わって歪んだ支配構造を持つ問題のある(カルト)宗教がメディアに取り上げられることがあります。そのような話を聞きながら、何か宗教って怖いな、と思う人もいるでしょう。
 しかし、そのような宗教は一部だと言うべきで、個人の自主性を大切にする正当な信仰の宗教も多くあるのです。

 イエスは「偽預言者たちに用心しなさい」と言いました。イエスの時代にもカルトのような問題があったのかはわかりませんが、宗教教義を押し付け、人々の生活を乱す宗教的な指導者たちがいたのでしょう。従うべき指導者か否か、自分の意志を持ってよくよく考え見分けていきなさい、とイエスは言います。

 そしてイエスが危険な教師を見分ける方法として教えられたのは、指導者の生活の実をよく見ていくことでした。教えの内容が偏っていないかよく確認する。指導者の行動をよく観察し、ことば通りに周囲の人々によい影響を与えているかどうかを考慮することです。
 一見立派な倫理や信仰を説いているけれど、実際には誠実さに欠ける指導者もいるからです。

 キリスト教の信仰で大切なのは、自身が罪人であることを弁(わきま)え謙遜になること、そしてキリストが歩んだように誠実な愛に生きることです。そのような価値を大事にする信仰は、自分も他人も幸せにするのです。


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■狭い門から入りなさい /福井 誠

2025年08月07日 | Weblog

2025/5/8放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしでしょうか? 今週は福井 誠が担当しています。今日もマタイの福音書を開いてまいります。「継続は力なり」ですから、ぜひ続けて読んでください。そうすれば聖書を読む楽しさが、自然に身についてきます。
 今日は「狭い門から入りなさい」と題してメッセージをいたします。新約聖書マタイの福音書7章13節、14節をお読みします。

「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。」

 アンドレ・ジッドの小説『狭き門』のタイトルの由来として知っておられる方も多い箇所です。簡単に小説のあらすじを説明すると、主人公のジェロームとアリッサは幼いころから深い愛情関係にありました。しかし、アリッサは、天国に至る狭き門を選ぶために修道院に入り、地上の幸福を諦めるのです。恐らくその小説のイメージもあって、「狭い門から入る」というのは困難で孤独な道を選び取ることでそれがよいのだ、と受け止めている方も多いのではないでしょうか。

 しかし一旦、小説のイメージを取り除いてみましょう。ここで言われていることは、狭い門から入ればよいというのではなくて、狭い門に続く狭い道を歩み続けなさい、ということです。となると、実は当たり前のことを言っているに過ぎません。
 往々にして挑戦を避けて楽な道を進みたがる人は多いものです。しかし何かに秀でるような人は日々鍛錬に励み、大変な努力の積み重ねをしていることがあります。著名なスポーツ選手、芸術家を考えてみるとわかるでしょう。
 信仰も同じです。信仰者の成長は神の恵みや人の支えにもよっていますが、日々聖書を読み、祈り、神のことばに生きる、実に地味な狭い道を歩み続けることによるのです。


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