●「愛」を知らない日本人は「慈悲」に生きればいい
そもそも僕らは西洋における「love」の訳語である「愛」を正確に理解しないまま、日常語として使ってしまっています。
僕らは「愛」という言葉を聞くとすぐに「あの人が好きだ」「一緒にいたい!」という、恋い焦がれるような感情をイメージします。こういった「恋愛」には、明らかに相手を所有しようとしたり、相手を自分と同一化し、コントロールしようとしてしまう気持ちが含まれています。
仏教ではこうした「恋愛」は煩悩であり、捨て去るべき感情と考えられています。なぜこういった感情が否定されるかといえば、こうした「恋愛」には、相手に対する「敬意」が欠けているからです。
日本人は「愛」という言葉を定義づけないまま、ナルシスティックな感情にまかせて「愛」という言葉を使ってしまっているのです。
だとすれば僕ら日本人は、自分でもよくわからない「愛」などという言葉にこだわるよりも、(まだまだ理解が十分ではないにしても)自分たちの文化に根づいた「慈悲」を大切に育てるべきではないかと思います。
なんかね、かなーり納得しました。