お祖母さんが20歳になるころ、世の中全体が不満と閉塞感にさいなまれ、倫理道徳が守られなくなることもあった。
「年老いてきた父は、言ったものです。でたらめが通る世の中で義を守り徳の道を選び取ることはさぞかし辛かろう。しかし、おのれがその道を捨てたその時が、本当の世の乱れが始まるのだと思え、と。まっとうな人生を歩むかどうかは自分が決めることですからね。真の世の乱れを我とわが身に受けるのは、結局のところ父の言うとおり、自分が非道を選んだときからでしょう」
心を静める方法をいくつか持っているのは自分を鍛えることに通じる。お祖母さんにとっては書や茶の湯などがその方法であったそうです。
悲しみや怒りにさいなまれたときにはせっせとひたすら歩き、その思いを抱いている自分から一時期離れ、自分自身がよく見えるようにし、思いに振り回されず落ち着いていようという気持ちをつくったとのこと。
いったん自分の感情から離れることってとても難しいけど、何か熱中できること、一心に取り組めることがあるといいんだね。習い事って、その方法の一つになるんだ。というより、心を静める方法の一つにできるくらいになれば、習い事って役に立つのかもしれないなあ。習っているだけ、免状を持ってるだけじゃまだまだなんだろうねえ。