花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

カンバック!昭和商店街20<精養軒の角>

2018年12月23日 | レモン色の町

諏訪駅前の映画の看板から南(右へ)方向へ路地を進む。

昭和32年7月26日、暑い日の午後、辻写真館から東を見る。グランドホール、万惣と並び正面が精養軒。精養軒の左隣があかもん、田中産婦人科、白揚と狭い道になっていた。そこを出ると左が諏訪駅。この時、諏訪駅は近鉄四日市駅へ移転していた。

右に諏訪劇場があって、人通りは多い。万惣はカレーライスから寿司まで何でもありの食堂だ。映画を観た帰りに、ちょっと食べに寄るには手ごろな店だったのだろう。万惣の子供か、友達と話が弾む。片岡千恵蔵か市川歌右衛門、それとも大川橋蔵の話題だろうか。

暑かった一日、夕立はあがった。

 

精養軒前の夜の風景。ゴミ箱に店名が読める。この左隣に「あかもん」があった。この前の板塀をすり抜けるのがスリルだった。辻さんはドキドキしながらシャッターを押したに違いない。

 

四日市市立博物館発行「四日市のまちかど」より、昭和31年の航空写真。下に見える大きな建物が諏訪劇場。その北側にスワマーケットが建ち並ぶ。

 

数年前になる。大阪から伊藤さんという方が訪ねてみえた。パンをこねる機械の指導に、1年ほど精養軒の二階に居たことがある、懐かしいので来たとおっしゃる。夜な夜な2階から抜け出して飲みに出かけたということだった。諏訪劇場に美空ひばりが来た夜のことも覚えてみえた。精養軒は今ない。調べると奥さんが高花平で喫茶店をしているとのこと、翌日、訪ねてお話をされたそうだ。翌々日、お礼を言って大阪へ帰られた。元気なうちに懐かしい場所を回ってみたいということだったが、どうしてみえるだろうか。

その南隣のグリーンモルには、精養軒の車が止まっている。

 

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