昭和33年12月21日、辻さんは、凌霜書房からスワマーケット内部へ入る。東入り口から入ってコの字型に曲がり、西へ出る。右に趣味の店「まつ重文具店」、左は化粧品や洗剤が並んでいる。母親は公設市場での買い物が多かったから、スワマーケットへ出かけた記憶は薄い。奥の八百屋で氷に乗ったスイカの切り売りを食べた記憶がある。一番奥には外の明かりが見え、スワマーケットは個々の家の集合体であることが分かる。継ぎ足してつくられた店舗だ。
お正月に向けての買い出しか
昭和35年12月20日。諏訪百貨店、通称スワマーケット内部のボタン屋さんだ。この写真を見て驚いた。豊富な在庫、明るい店内。若々しい店員の手際のよい接客。二,三坪の店に活気があふれている。しかも、ここの屋根の上では、すでに解体工事が始まっているのだ。
黒電話はお客様にも使えた
ほとんどの店が閉店している中、この店は未だ営業を続けている。「お客さんがみえるから商売させていただいているんです」そんな答えがこの店から返ってきそうだ。ボタンで、商売が出来た時代だった。隣の店に下駄が吊るしてある。
白揚書房と草野洋服店が望める
下駄と鼻緒とツッカケが山積みだ。中村履物屋さんだろう、と思っていたが「ちがう!」と中村君にご指摘をいただいた。屋根の上では、空いた店から瓦を取り外す音が聞こえてくる。店のおばさんはその音を無視するかのように仕事に励む。3年後にはここに新しい百貨店が完成するのだ。下駄とツッカケだけの時代は終わろうとしている。
2坪くらいの店だ
昭和35年、インスタント時代が始まった。この年の8月、森永製菓は36グラム220円のインスタントコーヒーを新発売、33年には日清食品もチキンラーメンを、そして、ミルク、ジュース、カレー、スープと次々にインスタント食品が発売された。カラー放送が始まるに伴い21インチカラーテレビが52万円で発売。とても買えた代物ではなかった。6月にはダッコちゃんが出た。1個180円。ホッピングやフラフープも同じ、流行とは妙なものだった。生活の豊かさが見え隠れする時代に、皆と同じものを持つことで安心が得られた、そんな時代だった。
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