花の四日市スワマエ商店街

表参道スワマエ商店街会長のひとり愚痴

カンバック!昭和商店街1<北京飯店>

2018年11月12日 | レモン色の町

辻さんが残された昭和30年代の諏訪駅前商店街。15年ほど前にスワマエのイベントで考えたコメントを再掲載したいと思います。

カンバック!昭和商店街 その1 すずらん通り

昭和33年3月15日。諏訪中通リ(現在のすずらん通り)、夜の風景だ。

東から北京飯店、笹井屋、岩田洋服店と並ぶ。北京飯店の場所には戦後の数年間、白揚書房があった。笹井屋は奥と二階が高級レストランで、入口には池があった。現在、解体工事にかかっておられるが、池の跡には難儀している様子だ。

夜の街路は、春の訪れを告げる雨に濡れている。自転車の同業者と話をする北京飯店の店員。テイクアウトにまんとう・しゅうまい・中華すしとある。中華すしとは一体どんなものだったのか?

勤め帰りの人も立ち話をしている。どこかの店へ食事にでも入るのか?自転車とスクーターが目立つ。自動車の普及にはまだ期間がある。私の父も配達のほとんどをスクーターで済ませ、大きな仏壇は運送屋に頼んでいた。お客様から祝儀の出る仕事に運送屋さんは喜んで来てくれた。雨が上がって、夜の街歩きに楽しい季節となっていく。


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4 コメント

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卒業式の二日後の写真 (阿智胡地亭)
2018-11-12 19:01:25
[昭和33年3月15日。諏訪中通リ(現在のすずらん通り)、夜の風景だ。]⇒昭和33年3月13日に四日市市立港中学の卒業式がありました。私はその卒業生の一人です。卒業式の二日後の夜の商店街の写真があるなんて嬉しいというか不思議というか。その頃は蔵町に住んでいました。4か月後に神戸に引っ越すことも知らずに。
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すずらん通り (タケオです)
2018-11-13 12:54:06
蔵町から神戸へ行かれたんですね。蔵町はその名の通り、蔵が並んでクライところでした。そこへタヌキが出没して、蔵を荒らしたり悪さをする。それを懲らしめるために「大入道」をつくった。という説があります。ご存じでしょうが…
蔵町には郵便局の裏に野田栄一君が住んでおりました。少し年下になりと思いますが・・現在も親交が続いていて、年に2~3回、一杯飲みます。
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江田町 (まさまさ)
2018-11-13 15:14:38
現在の諏訪栄町の辺りが江田町だったのですね。と言うのは私は小学生の頃、近鉄の西口側、現在では安島と表示される地区に住んでいましたが、当時は江田町(えんだちょう)でした。今とは違い工業高校以外は何もない地区でした。どういう経緯でその地区が昭和30年代後半に江田町と表示されるようになったのかは分かりませんが、今は消えてしまった自分の過ごした地名がもっと以前は諏訪栄町の旧町名だったことを初めて知りました。
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江田町 (タケオです)
2018-11-17 10:37:53
神社前を新田町、1番街、グリーンモールあたりを江田町、そこから南へ浜田となっていました。江田町は広かったんですね。えんだ と読むのが面白いです。駅の西は、場外券売り場、工業高校、その南に天理教教会がポツンポツンとありました。西口駅の殺風景な様子を夢に見ます。
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